色彩のコーディネート(調和させて組み合わせること)というと、センス(感覚)が良いとか悪いとか、センスを問題にするひとが多いように思います。確かに色を選択するセンスも必要ですし、美しいものを見たり、配色の知識を身につけることにより、少しでも色に対する感覚を磨くことは無駄ではないと思いますが、色彩のコーディネートをもう少し大きな意味でとらえる必要があるのではないでしょうか。
なぜかと申しますと、現実に目にする「色」というのは、多様な関係性のなかで成り立っているからです。たとえば、光の質やその光があたるものの材質・テクスチャーだけでなく、大きさ(色の面積)や形状、そして周囲の色など様々なものに色は影響を受けます。その上、ひとの「気持ち」や「思い入れ」といった心理的なことでも、色の感じ方は違うものです。また同じ色でも使う場所により印象は大きく異なります。建築でたとえれば、茶と白の2色を壁と天井に使う場合、壁を白くして天井を茶色にするのと、その逆とではまったく違った印象になります。
このように色というものは非常にとらえ難いものですが、コーディネートする際に大切なのは、どのような感じの建築(空間)にしたいか、というイメージであり、そのイメージがあらゆる関係性をひとつにまとめる働きをしてくれるのです。いくらセンスの良いコーディネートをしても、めざすイメージが希薄であれば、その部屋だけでなく建物全体としてコーディネートしきれるものではありません。色彩をコーディネートするには、色とイメージの関係を建物全体で自分なりにとらえ、それをそのイメージに従って表現すればいいのではないでしょうか。
フランスを代表する象徴派詩人ランボーは、母音であるA・E・I・U・Oそれぞれに色をあてはめ、そのイメージを詩にしています。たとえば、A(黒)は金蝿のコルセット、影ふかい内海。E(白)は霧、テント、氷山の槍先、王者の白衣装、ふるえる雪柳の花、というように彼の色(母音)に対して湧きあがるイメージを書きとめています。
ランボーとまではいかなくとも、誰しも色に対してはイメージを持っています。
空や海といった世界中の人々が共有できるイメージもあれば、「わび・さび」といった日本人だけでしか共有できないイメージもあります。気候・風土によっても異なるでしょうし、まったく個人的なイメージもあるでしょう。色はひとの心や気分に大きく作用しますが、それはその色から受けるイメージが大きく影響しているといえるでしょう。
余談ですが、わたしの事務所は大阪にあり、通天閣が近くに見えるのですが、夜になるとその通天閣が頂部のネオンで明日の天気を知らせてくれるのです。
晴れは白、曇りが赤、雨が青色のネオンが点灯するのですが、わたしは、晴れは(太陽の)赤、曇りは(雲の)白というイメージを持っているので、このネオンにはいつも戸惑います。
色を決める場合、ある特定の色でなければいけないという必然性はありません。
白でも赤でもなんでもよいのです。確かに赤は注意を喚起しやすい色であるのですが、信号機においては赤が「止まれ」の合図であるのは、単にそのように決めたからに過ぎません。住宅の場合も、建物を何色にするかはまったく自由です。
ただ外壁の色はある程度社会性を伴い、街並みを意識した色が要求されます。街並みに「同化」するか「異化」するか、それは建て主や建築家が考えて決定することですが、いずれにせよそれも街並みを意識していることになります。
両隣の家や向かいの家、そしてその周辺の家で構成される街並みには、必ずその「イメージした色」、あるいは街並みから受ける「イメージの色」があるはずです。その色に同化、あるいは異化する外壁や屋根の色を決めればいいのです。
同化は街並みに合うけれど、異化は街並みを乱すのではないかと思われる方もいるでしょうが、その建物を起点に街並みがより良くなるような「意味のある異化」をめざすのであり、ただ目立てばいいということではありません。
樹木やその花を見て、汚いと思うひとはいないでしょう。外壁の色を考えるとき、この樹木が大きなポイントになる場合があります。たとえば建物の前面に植栽をすると、建物を道路(社会)から離し、また隠すことにより威圧感をなくし、また樹木の緑や花の色が外壁の色を優しく緩衝してくれます。
建物の形や色にこだわるひとがよくいるのですが、一本の木を植えるということの大切さを忘れてほしくはありません。自然の力は想像以上のものがあるとわたしは信じています。
建物内部の色を決めるのに社会性はほとんど伴いません。自由です。どのような部屋にしたいのかということを、建物全体のイメージに関連させながら決めていけばいいのです。しかし、家具類を造り付けにし、部屋に合う机や椅子を造ったり、購入したりしても、内装の色を決めるときにわたしが注意していることは、必ず予測できない雑多なものが部屋に置かれ、また壁に張られたりするということです。それと住宅の主役は、あくまでもそこに住む「ひと」でなければなりません。ひとが一番引き立つような空間が理想ではないでしょうか。
そのように考えると、竣工時の何もないがらんどうの状態で、いくらセンスが良くて美しくコーディネートされていても意味がありません。いろいろな備品類が収まり、そこにひとがいる状態が美しくなければいけないはずです。竣工時には、同じ色ばかりの少し間延びした感じを受けるぐらいの空間がちょうど
いいように思います。
色に関心のあるひとは、それが非常にあいまいなものであることに戸惑います。
その原因の多くは、ものの色はそこにあたる光の反射光を知覚することによって認識されることにあります。要するに、同じ壁であっても、その壁にあたる光の種類によって色の見え方は違うのです。朝の光、夕方の光といわず、時々刻々その壁の色は変化しています。もちろん夜になれば点灯する照明の種類(蛍光灯や白熱灯、等)によって色の見え方は違います。
このことから、色彩のコーディネートとは「光のコーディネート」でもあることがわかります。住宅を設計するときに、どのような照明にすれば自分がイメージしている空間を創ることが出来るのかをよく考えます。色を考えるときは、つねに光のことを考えるべきでしょう。
内装の色に白を提案したとき、冷たい感じがして嫌だという施主がよくいるのですが、日が暮れて白熱灯を点灯したとき、その空間が黄色い光に包まれ、白い壁が温かみのある優しい表情に変わるのを見ると、誰もが美しいと思うでしょう。これは白い壁と白熱灯の組み合わせでしか表現できません。
一方植栽などは、白熱灯の黄色い光では美しくありません。蛍光灯か水銀灯の白い光でないと緑は映えないのです。当たり前のことですが、色彩のコーディネートには、そのものが持つ色を最も美しく見せることも必要なのです。
最後に、わたしの個人的な好みを述べます。
特に住宅の場合ですが、できるだけ着色しないように心がけています。その材料がもつ色をそのまま使うのが一番美しいと思うからです。時の経過と共に少しずつ変色していくのもいいものです。また自然材料であれば、どのような組み合わせでも色の調和がとれます。ほとんど「色彩のコーディネート」を考える必要はありません。ですから、住宅の内装をアンティークに見せるため、木をわざと「こげ茶色」に着色しているのを見ると、少しあざとさを感じてしまいます。自然材料が持つ色をそのまま生かした空間は、ひとの心を癒し、そのひとを空間に溶け込ませてくれると思うのです。
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