「ローコスト住宅」というのは曖昧な言葉です。書店にあまた並ぶ住宅雑誌やテレビなどの住宅情報番組で、いろんな住宅例や建築知識を得ているひとと、単に建設費(コスト)が安い建物と思っているひとでは、その言葉から受け取るイメージに相当な違いがあるように思います。ここではあえて後者の、本来「ローコスト」という言葉が持つ意味の原点にもどって考えてみたいと思います。
まずは、お金の話です。
わたしはこれまで住宅の仕事を依頼されたとき、施主から「お金はいくらでもあるから・・・」と言われた経験はありません。おおかたは、多少謙遜気味に「これだけしかお金は無いのですが・・・」と言って予算を示されます。そこでこちらも、すこし気を引き締めて設計に着手することを伝えますが、施主は、はたして思い描いているような住宅がこの予算で出来るのであろうか、と不安気な様子。そこでわたしはいつも、「この予算で出来る建物をつくればいいのです。よい住宅かどうかは、予算の多少とは関係ありませんから。」と言うのです。
当たり前のことですが、5,000万円の予算なら5,000万円の、1,500万円の予算なら1,500万円の住宅を建てるということです。人間と同じで、お金をかけたからといってよい住宅が出来るものではありません。それに建築家は、いかなる条件であってもよい建築(住宅)をつくろうと目差すわけですから、予算の多少によって設計に対する熱意が変わるということもないのです。(そう信じています)
ここでひとつ確認しておかなければならないことがあります。
先程「よい住宅」といいましたが、なにをもって「よい」とするかです。ひとにより価値基準は違います。しかし地震や台風等の災害に耐えうる構造や、雨漏りや隙間風がなく、暑さや寒さをしのぐ性能は建築にとって基本的なことであり、いくら建設費が安くとも、これらを無視することは出来ません。「よい住宅」の基本です。
問題はその次です。「よい住宅」であるためになにを望むかということです。「もの」やそれの「高級化」を望めば、当然それにかかわる「費用」が発生します。わたしはこれを後回しにします。じゃあ、なにを望むのかといいますと、それは「空間」です。タテ・ヨコ・高さという可変要素をもつ「空間」を工夫することにより、お金をかけずに「よい住宅」を目差すわけです。同じ質・量の建設資材を用いても、その組み合わせ方は無数にあるわけで、その中からその施主にあった「空間」をつくり出すのです。これならあまり建設費のことを心配せずに、施主と一緒になって楽しく住宅をつくることが出来ます。
構造や空間が決まれば、次は「仕上げ」です。
この段階で、目差す建築が施主と共有できていることが大切です。それが出来ていれば、自ずと「空間」を生かす仕上げを選ぶことになるでしょう。高価なものでなくともよいのですが、できれば自然の材料を選びたいものです。
建築を単なる「経済行為」としか考えない浅はかなひとがよくいますが、このようなひとは虚栄心からか、予算以上の建物に見せようと躍起になるのが困りものです。どうしても、「見かけ」にお金をたくさん使ってしまうため、建築を総合的にみるとアンバランスで内容が伴わない悲しい結末になることが多いように見受けられます。
無駄なものを可能な限り排除することも大切なことです。
極端なことを言いますと、人間は食べて、寝て、そして雨露をしのげる程度の家と、寒い冬に暖が取れれば生きていけるわけで、これら意外のことはすべて贅沢(無駄)なものだといえるのかもしれません。しかし現代に生きるわたしたちにとって、それだけでは快適な生活を得ることは難しいでしょう。住宅において、日々快適に生活していくために、どうしても無くてはならないものとは一体なになのか、ということを一度考えてみるのもよいかもしれません。そして出来るだけ「もの」を減らすように心がければいいのではないでしょうか。
では、無駄なものをそぎ落とし、住宅だけをスリムにするだけでいいのでしょうか。
住宅というのは、ひとが生活するための建築であるわけですから、基本はやはり「ひと」です。住むひとがシンプルな生活をし、またそのような生き方をすることも大切なのではないかと思います。住宅は安い建築費で建てておいて、余ったお金で最新の設備や電化製品をあまた購入し、高級車を乗り回す、というのもひとつの生き方ですが、むかし欧米から揶揄された「ウサギ小屋に住むエコノミック・アニマル」そのもののように思え、わたしはあまり感心しません。生き方も含めた総合的なバランスというものが大切なような気がします。
最後に、「ローコスト」ということに「時間軸」を加えてみましょう。
たとえば、1,500万円で建てた住宅が、15年後に大きな改修工事が必要になり、一方5,000万円で建てた住宅が50年後もしっかりと建っていたと仮定します。50年単位で見れば、明らかに5,000万円で建てた住宅の方が「建物にかかる費用」が安いことになります。これは極端な例ですが、建設費用(初期費用)が安い=「建物にかかる費用」が安い、とはいかないわけです。
しかし問題は、初期費用にあまりお金をかけられないひとが多いという現状です。これを解決するには、まず建築の各要素を「時間」の経過と共に、「変化するもの」と「あまり変化しないもの」に分けて考えるのがいいと思います。「変化するもの」よりも「あまり変化しないもの」にお金をかける割合を大きくするのです。
具体的にいいますと、構造は非常にしっかりしたものにし、50年、100年耐えうるものを目差します。しかしその間、家族構成の変化に伴う間取りの変更や、設備機器の更新は避けて通れません。そこで構造体はそのままにしておいて、間取りや設備を簡単に変更できるような住宅にしておけば解決するのです。
これはいわゆるSI住宅(skeletonスケルトン/骨格・infillインフィル/内装・設備)といって、集合住宅などによく用いられる考え方です。「ローコスト住宅」を目差す場合も、この考え方が大変役に立ちます。初めはしっかりした「箱(骨格)」だけをつくり、インフィルは生活できる最低限にして予算を抑えればいいでしょう。将来お金が少しできるとインフィルを付け加え、家族構成が変わればインフィルも変更する、という具合です。住宅をそこに住むひとの変化に合わせて変えていくのです。
ひとくちに「ローコスト住宅」といっても、いろんなアプローチの仕方があることがわかって頂けたと思います。そして、よい住宅をつくるのにコストはあまり関係がないことも理解して頂けたでしょう。生き方、日々の生活そして建築の総合的なバランスがなにより大切です。ですから「ローコスト住宅」も、そのような総合的な視点でとらえなければいけないと思うのです。
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