環境について、建築について、暮らしについて、親子について「主」と「従」という捉え方で考えてみるといろいろなオカシさが見えてくる。そこにデザインが関わることによって解決策も見えてくる。
自然環境の中に建築をする場合、山があれば山が「主」であり、建築が「従」である。 海があれば海が「主」であり、建築が「従」である。建築は「従」としての立場を心得ることによって自然環境にとけこみ、環境全体の調和となる。自然環境に対する敬意と畏怖がデザインに作用する。
既成の集落に新しく移住する場合、既成の集落が「主」であり、移住者が「従」である。 土地の歴史が「主」であり、移住者が「従」である。 移住者は「従」を心得ることによって、土地の文化と精神を継承し、歴史を繋ぐことができる。
地域社会と個人の関係性の場合、地域社会が「主」であり、個人が「従」である。個人が「主」を主張すればするほど地域社会は壊れ、公共心は失われる。
親子の関係性の場合、親が「主」であり、子が「従」である。祖父母が「主」であれば、親が「従」である。子を「主」として育てれば、他者の痛みのわからぬ人となる。祖父母を「従」とみなして対応すれば、やりきれない高齢化社会を迎えることになる。
さて「子ども部屋と家族団らん」について、「主」と「従」の関係性で解くとするならば、家族団らんの空間が「主」であり、子ども部屋は「従」である。子ども部屋を「主」としてはならないし、少なくとも18歳までは独立させた間取りにならぬように配慮するべきである。子どもは宝である。宝ならばこそ、親あるいは家族という共同体はあえて「主」を押し通さなければならない。子どもはいずれ、大人になり「主」という立場になる。「従」の立場のわからぬ「主」が世の中に溢れれば、社会の病いとなる。
|