何故小さな暖炉を部屋の両隅に設置?
ガウディはオリジナル性について「奇異を求めず、日常の事を改善するのがよい。」としている。
この言葉には深みがある。通常のデザインは珍しさにとらわれて、奇異なイメージを描き納得してしまう傾向がある。
ところがこの言葉は、伝統の中から新たなる不足部分を補うことを勧めているようにもとれる。時代に応じて使い慣れているものが次第に形をかえることを示唆しているだろう。
たとえばハンコからはじまり、タイプライター、ワープロそして現在ではパソコンと変わる。日常用品でも昔からくらべて随分とデザインが変わり、使いやすくなっているものが多い。特に家具は色や形だけでなく、使いやすさも重視されてきた。
トイレなども汲取りから水洗となり、最近では様式便器にウォシュレットに至る。
乗り物等もその時系列から明らかである。
建物では、本格的な日本建築から現代建築への移行も建築様式の変化に追従したデザインとして変わってきた。
西欧建築においては、建築の寿命によって内部だけの改装が発達し、併せて家具デザインの変遷が著しいことは疑うまでもない。
不思議に日本建築を取り入れようする西欧人は殆ど見かけないが、日本では逆に西欧文化を取り入れようとする人たちが多い。
その考えをこのエル・カプリチョにあてはめてみると、確かに奇異と思える部分がどこなのか見分けがつきにくい。
あえてガウディの創作といえる部分は、様式の折衷や詳細の納まりとなる。
防犯用の鐘付きギロチン窓、コーナー・ベンチ・バルコニー、立方体棟飾り、中世様式の柱頭柱とトスカーナ風の礎盤によるポーチと、イスラム様式の小塔に機械的な鋳鉄柱にアジア風の兜を表す尖塔、土塁用植木兼用の控え柱とベンチ。
幾何学模様のレリーフが描かれたメンスラ(肘木)のある窓、不思議な鳥獣戯画のようなステンド・グラス。その一つがポーチでの中世建築の特徴である柱頭であり、その上にイスラム様式の塔が合成されている。
尖塔でもその様式にはオリジナル性を含めてさらなるデザイン性を強調している。
特に手摺子や尖塔の鋳鉄の柱は機械的にみえるのは私だけだろうか。
ガウディによるエル・カプリチョ内部は、1984年改築前の様子を写真で見る限り、それまで使用していなかった部分は荒れ果てた姿であったことは確かである。その後、前回の修復で床、天井、腰壁等もオリジナルを忠実に再生したということを、当時の大工エスポジットの息子で塗装屋のルイス・エスポジットが語っている。
特に植物模様のある西側の部屋には、当時浴室があり、部屋の天井の格天井は石膏の羽目板を作り直したという。現在、三カ所に可愛い暖炉があるが、その位置も部屋の隅切暖炉としてつくられている。
サイズは通常の暖炉よりは遥かに小さくしているのはどうしたことなのか。
一見飾りのように見えるがそれは見せかけではなく、実際に利用できる暖炉である事は実験済み。
ここで考えられるのは、二面の外壁に面したコーナーに暖房を置くことは、90度の範囲だけを温めることで、通常の180度範囲を温める壁のそれよりは温める規模が半分ですむことになる。 |