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建築家トップ > バルセロナ便り > 第228回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

ガウディの建築に施工図は無かった

このエッセイの中にホセ・バイヨ・フォンと言う名前が時々出てくる。
彼は建築家で建築請負業者としてガウディとモンセラ−の栄光の第一玄義、カサ・バトリョ、ラ・ペドレラを手がけている。他に大学広場のホセ・リモナ(José Llimona)の指揮によるロベルト博士(現在はテトワン広場に移設)のモニュメント建設、タピネリア通りのハイメ(Jaime)1世へ捧げる絵はホセ・マリア・ジュジョール(José Maria Jujol)からの請け負いやホワン・ルビオ・ベルベル(Juan Rubio Bellver)によるティビダボ礼拝堂も建設している。バイヨは、ベルナルディ・マルトレールによるバルトンセージャのサンタ・マリア・シトー派修道院(Monasterio de Religioses del Cister de Santa Maria de Valdonzella)を建設した。ジャウマ(Jaume),ジョセップ(Joseph)が建設協力者として仕事をしていた。彼は建築家で建築学校の教授でもあり1929年の国際万博で現場監督でもあった。
バイヨ家はジャウマ、ジョセップ、ドミンゴと共にブルック(Bruc)通り6番地に事務所を持っていた。

ガウディの成熟期に接していたバイヨ・フォンは、ガウディとの間のやり取りがどうであったかを、故バセゴダ教授との1970年の会話の中に残されたのである。それが、2003年にカタルニア工科大学からの小冊子としてカタラン語で出版された。
そのインタビューの始めにバセゴダ教授の「バイヨ兄弟会社はいつ設立したのか」と言う質問に対して、バイヨは「父の会社を継続しているが、父は1900年に設立しました」と答えている。
因みにバルセロナに建築学校ができて建築家の資格が取得できるのは1872年からである。その第一号の建築家がガウディの師匠でもあったホワン・マルトレールということになっている。ガウディは、1878年に建築家の資格を修得しているので3期になる。

兄のJaumeは1900年に建築家となる。
そしてガウディとの出会いはカサ・バトリョからとなる。
その関係はルビオとの関係からはじまるとしている。
ローム通りでのルビオとリモナの作品を作り終えたバイヨは、後にカサ・バトリョの解体工事にとりかかる。その後ガウディとカサ・バトリョの施工作業がはじまることから交流が始まる。

他にモンセラーの第一玄儀のモニュメント設置がある。
モンセラーの第一玄儀の現場においては、ルビオと彫刻家リモーナも関わり、ルビオはキリストの像を溶接無しで支える鉄細工を考案し、バイヨはその施工をした。その間、ガウディの姿を見る事はなかったという。
次にカサ・ミラの施工も行うことになるがその前にカサ・バトリョ施工がはじまる。

この「カサ・バトリョの工事が1904年に始まったがその施工図はあったのか」とバセゴダ教授がバイヨに尋ねた。
それに対してバイヨは「その施工図はなかった」と答えている。
ところがサグラダ・ファミリア教会の地下聖堂にはカサ・バトリョの柱の原寸模型が展示されている。民間建築の計画模型もこのサグラダ・ファミリア教会で作られていたわけである。そこでも施工図はなく他の作図もなく、模型からの施工ということはサグラダ・ファミリア教会の施工も同じ状況であった。

ここでも明らかにガウディの建築計画では施工図はなかったと言う事が裏付けられる。
     
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