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建築家トップ > バルセロナ便り > 第329回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る


全財産をすられて選択した実測

2021年10月17日、43年前に私が通い詰めた人影の少ないグエル公園の階段に立ってみた。階段には手すりが付けられていた。樹木の成長も時の流れで視界を邪魔していた。しかし同じように地中海の水平線が見えている。やはり何度見てもその景色だけは変わることはない。
階段に座ってはどうするべきなのか3か月間考えさせられた挙句の末に、自分が座っているシンプルな階段なら測れると思った。最初に測りたいところの階段のスケッチをしてから立体的に寸法を入れる作業である。とてもシンプルな階段だから容易に描かれると思って始めたのがきっかけで、今日にまで続いてしまった。
何の変哲も無い階段であり近道として使える階段である。その階段を測って何を得たのだろうか。

最初の3ヶ月間は、バルセロナに到着したその日に全財産をすられてしまって、途方にくれていた。兎にも角にも必死で何ができるのか模索していたのである。しかもスペイン語も英語もできず、頼りになる言葉が母国語である日本語だ。自分が最も避けていた実測と作図の手段を選択したのだ。絵の下手な自分として自覚していたので他人に自分のデッサンなど見せる自信もなかった。
それがこの四十数年の間にそれまでの自分の姿勢が変わってしまったのだ。背中も少々曲がりかけてきているほどである。その変わった自分を顧みたとき、再度これで良かったのだろうかと問いただしている。 
スペインに来る前の日本での自転車旅行、このときも初日に国道2号線で朝6時半頃、大型コンテナー・トラックにニヤミスされ、その風圧で国道のど真ん中で倒れことを想い出した。しかしそれが自分が選んだ新たな道の始まりであった。何かしら大きな事が起きる前の虫の報せのような気がしていた。そんな自分の人生を不思議に思っている。

スペインでも初日のスリとの出会いは自転車旅行での初日の事故と同じと見ている。それは自分に用心を促している気がしていた。スペインでは自転車が実測という手段に代わった。階段の実測に変わったのだ。その最初の場に立ったり座ったりして状況の変化を顧みている。
出会いもあれば別れもあるということもこのバルセロナに来てより強烈に体現してきた。しかもこれまでの軌跡は誰でもありうることであり、それぞれの忍耐によって自然淘汰され存続の可能性が試される。それが個々に与えられているパッションというものなのだろうかと考えるようになった。
パッションとは山谷が激しく、面白い体力テストのようなもの。自分はそれを良しとして現在に至る。そしてガウディの建築を自分なりに理解できるように勉強してきたつもりである。しかも自分の言葉で理解して、スペイン語もマスターし、いつの間にか日常会話や翻訳、通訳までできるようになった。それだけでも信じられない不思議な人生である。実家でオホーツク海の水平線を見ていた時、あの向こうにはロシア(ソ連)があって外国語の全く別世界として思っていた。ところがいつの間にかユーラシア大陸を横断してスペインに来てしまっているのだ。
さらにスペイン語も話している自分がいる。日本にいた時の自分があまりにもチンケに見えた。そしてスペインのバルセロナでガウディ建築と向き合って実測し作図までしてこの趣味の世界を40年以上も費やしてきた自分にため息をついている。
この忍耐力はどうしたことか。その不思議な出来事に驚いている。

自分の怠け坊主の時代を回顧していた。だから人生は面白い。
     
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