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  建築家トップ > バルセロナ便り > 第58回
実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

カサ・ミラの階段には、造船技術が応用されていた

ガウディは、ものの価値について“全ては何かに役立つ”としている。

短い言葉だが真理をついている気がする。
カサ・ミラの階段を上がる前に、“一服”する。
この言葉は日本の土方の現場で職人達が使っていた言葉である。
今でも使っているのだろうか。
この一服とはタバコを一服するという休憩を意味した言葉である。
私はタバコを吸わないがなんとなく響きが良いので使うことがある。

ここで、今後の為にも基本的な歴史的データーの出所を明確にしておく必要があるだろう。
建築計画の内容は、図面よりも歴史的な資料をガイドとして調べなくては本筋からずれてしまう可能性があるからだ。
ガウディの話しを進める中で、歴史的資料を裏付けする為のガイドとしてラフォルス、ベルゴスそしてマルティネールなどという名前がよく出てくる。
彼等は、建築家達でガウディと接触し、会話や建築資料を整理した後、それぞれガウディ伝記を執筆した人達でもある。
ラフォルスは建築家であり本名は、ホセ・フランシスコ・ラフォルス・イ・フォンタナルス(Jos F. Rafols i Fontanals 1889-1965), ガウディが亡くなった後、グエル公園にあるガウディの家にあった資料を整理してサグラダ・ファミリア教会に運び込み、1929年に初めて“ガウディ”の伝記を執筆する。
ベルゴスは建築家であり本名は、ホワン・ベルゴス・マソ(Juan Bergos Mass 1894-1974), ガウディとは1913年から接触し、1954年に“ガウディの人間と作品”を執筆する。他に1913年から23年までの会話集も残している。
マルティネールは建築家で、セサール・マルティネール・イ・ブルネッ(Cesar Martinell i Brunet 1888-1973)、ガウディとは1915年から接触し、1929年に“サグラダ・ファミリア教会”、1967年には“ガウディの人生、理論、作品”を執筆している。
その後のガウディに関する書籍の殆どは、彼等の伝記をベースに研究が続けられてきている。
私の場合は研究内容の範囲が狭く、ベルゴスやマルティネール達が僅かにたしなんだ程度の作図の世界を展開させているような分野である。
これは私の語学力と理解力の不足から現在のような実測と作図の世界に入り込んでしまった、自然の成り行きである。
作図作業は、肉体労働と言うべき実測をベースに、歴史的な背景による理論的な分析も必要である。
最近ではコンピューターの利用で写真画像や図面分析も容易になっているものの、カサ・ミラの実測中のその頃は、CG等という言葉さえもまだ未知の単語として私の眼中にはなく作業を進めていた。
そんな中で、作図と現場を比較する。
ここでパティオの階段と建築確認申請図とでは違いがあることがわかる。
階段が蛇行して設置されている様子は、類似しているものの2階で途切れる。
当時としては、技術的に階段の構造が斬新であることは現存の姿から理解できる。
その構造技術は建築施工技術ではなく、アスティジェロ・モレル(モレル造船所)による造船技術をもって階段の構造が準備されている。

   
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