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実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

ニュートンとガウディの観察力

ガウディの日記からの引用になるのだが、装飾に関して「装飾となる植物は、特に場所によって技術的に青々した不動の植物を新鮮で若々しく見せるために,固い平縁を付け加えたりする」。
これは形の対峙によって相互を引き立てるガウディの装飾概念として読み取れる。
更にガウディ建築の成熟期では抽象化が始まり、コロニア・グエル地下聖堂において動植物達は化石化される。
窓枠の仕上げでは植物模様が破砕タイル(カタラン語ではトレンカディス)で仕上げられている。
またポーチの構造体となっている柱や梁は、テクスチャー表現において周囲の松の木林に同化するかのようになっている。
これはあくまでも意匠的解決手段である。
経験主義者とも言われているガウディである。構造解決手段でも自然物理を利用することから、建築や日常生活に取り入れられるフニクラーの特性を既に学んだのだろう。

それとは別に彼の創作インスピレーションはどこからくるのか。この疑問に対して「ガウディ以外はだれも回答はできない」とすると話は終わってしまう。
ところが評論家達は、切磋琢磨し想像力をかき立て山の形とか洞窟とかというが、そのレベルでは限りないほどの発想ができる。
憶測でしかないのも事実である。それを理論として世の中では形容している。

ガウディの日誌の中で、1876年8月10日の日付で幾何学について「聖堂では、ボ−ルトの円ア−チが殆ど倣物曲線で、透かしや円の構成、尖頭のピラミッド等は、幾何学形態の構成である。
形態は単なる幾何学で、非常に自由性があり、何度もくり返されている場合はコントラストが必要である。」

と説明している。
ここで倣物曲線の登場となる。しかもこのコメントはまだ学生時代である。
フニクラーについては、ベルゴスとの会話で述べているが、ここではその会話集の86番目から「倣物曲線を幾何学の父として」賞賛し、続いてフニクラーの特性を述べている。

つまり現実的でしかも自然界に存在するものを経験的に裏付けられる強い信念があっての言葉である。その視点から自然観察などをヒントにする考えが生まれるという推理の方がより自然ではないだろうか。

その機会と経験はどのようにして生まれるのだろうか。

「自然の観察によるもの」という言い方はよく使われるが、話は漠然としすぎる。
むしろ日常的な観察から生まれるという言い方がもっとも理解し易いのかもしれない。

例えばニュートンの万有引力は、ある日彼の前でリンゴが落ちた事にヒントを得たと言うのがあまりにも知られた話だが、突然それだけ見ても引力だとはだれも気がつかない。またトイレにいたときに気がついたというのもあるが?。
また考え方によっては、リンゴが落ちる瞬間の落ち方にも色々ある。
彼の頭にリンゴが落ちて気がついたのか。それとも彼の目の前にリンゴが落ちたのか、それとも誰かがリンゴを放り投げて落ちてきたのか、色々手段が考えられる。
落ちる軌跡をたどると、引力だけではなくその軌跡が放物線を描いて落ちるという事も問題であるのだ。

   
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