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実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

ガウディの墓前に参り、いよいよサグラダ・ファミリア教会へ

グエル公園から始めた独自の実測手法は、カサ・バトリョやカサ・ミラで、デッサン、実測、整理、検証、作図等を徐々に体系づけることができるようになってきた。バルセロナに戻ってから、その感性を養うための次なるテーマとして、漸く(ようやく)サグラダ・ファミリア教会の実測を進める気になるが、心持ち不安があったのは隠せない事実である。さっそくその実測の意志を示すためにサグラダ・ファミリア教会地下聖堂に安置されているガウディの墓に向かって作業開始を告げる。
 
ガウディは建築家でもあり、思想家か哲学者の様でもあり
 
誕生の門螺旋階段
誕生の門螺旋階段

あの世から“人は宿命的に<時代の人>か<空間の人>のどれかに帰属する。数字、音楽、言語を覚えることが苦手な人でも時代を表している”と言っているのが聞こえる。

では数字、音楽、言語の得意な人は “空間の人”ということになるのだろうか。
とすれば“想像力のある人、感性のある人”といった意味にもとれる。
ガウディの言う“空間の人”とはどうも理解しにくいがその解釈で直訳すれば“宇宙の人”となってしまうほど漠然としている。むしろ“超越した人”、又は“天使のような人”、又は“世界観がある人、宇宙へ旅をする人………”とバリエーションがある。
フランス作家ジュリアス・ベルネ(ジュール・ベルヌ)が1865年に書いた月への旅というのがあるので、宇宙へのロマン話があるくらいだから宇宙飛行士でも別に不思議ではない。しかしそんなレベルでガウディは“空間の人”としているのではなく、もっと身近なところで物の見方において“想像を凝らして見ることのできる人”の事を示している。

それを裏付けるような言葉で“人はものを見るまでは動けず、単に軌道線上を移動しているだけである。ところが天使の知識は三次元で動いている”とベルゴスとの会話に残している。

その意味も含めてこの場合は取りあえず“感性のある人”とでもしておこう。
空間と感性では世界が違いすぎるような気もするが、視点を変えるだけで関連性ができることが言葉の面白さではないだろうか。
折角気持ちも心機一転やる気になっているのに作業の開始をずらしてしまうと怠けるような気もするので、その日から作業を開始する。終了予定は決めていなかったが、それで良い。また研究調査の報告はスペインの外務省に提出することになっていた。

 
サグラダ・ファミリア教会の螺旋階段、129段目の謎
 
初めにサグラダ・ファミリア教会“誕生の門”のマチアの塔の螺旋階段を計る。
階段を計ることは既に体験済みなので苦にはならない。
さらに作図の表現も作業中に理想的な形が見つかるものなので、急がず焦らず何も決めず、まず始めはのんびりとした実測の日々を過ごしていた。

最初に螺旋階段入り口のデッサンをしてから、次に階段一段一段を測り始める。
この螺旋階段は、128段あって129段目が消えている。次の130段目から階段の形も回転方向も違っている。通常であれば消えた129段目の謎を探すところだろうが別に騒ぎ立てることでもない。単に雨樋(あまどい)が設けられている為に、階段一段が犠牲になっているだけである。確かに128段目から130段目までは少しは傾斜がついているから129段目には違いない。

この珍しい螺旋階段がどんな種類の階段なのかを調べるために、ガウディ研究室の図書室に通って文献を探す。
ある日、1974年に出版された‘ベルゴスとガウディの会話集’でガウディによる建築評論として興味ある一説を見つけた。これはフランス建築家ビオレ・ル・ドゥクが1834年に執筆したフランス・ゴシック建築辞典についての批判である。この辞書についてガウディは“ビオレの辞典は単なる辞典ではない。出版社の都合による百科事典的な未完成の専門書である”としている。
この強烈な指摘は、解釈の仕方によって“更に詳細を加えればより素晴らしい辞書になっただろう”と言わんばかりである。それ故に“未完成の専門書”といった言葉で表現したのだろう。

ではビオレのどこが未完成の部分なのだろうか?

 
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