友人と別れてから私は、九月始めに早速マドリッドのスペイン政府外務省を訪ねて、カタルニア工科大学研究室への入籍手続きをするための報告をした。 それからバルセロナに戻り、バルセロナ建築学部大学院博士コースに無料で入学手続きを済ませることができた。
これで漸く(ようやく)ガウディ研究室でのドクター・コースを正式に受けられるようになる。
それ以来、週に二回のゼミがあり、ガウディについての徹底的な講義が始まった。まだそれほど講義内容が解る程度ではなかったが、ゼミの後半は必ずスライドによる説明があったので、何とかゼミにはついていくことができた。それとは別に私個人としてガウディ建築における独自の実測と検証、さらに古文書とで徐々に理解し始めた。語学学校も上級コースに入っての勉強であったが、既に学校の授業だけでは物足りなくなっていた。新聞も読むというより目を通す独学による翻訳の訓練も始めた。勿論本来のガウディ建築の実測研究も続けていたので、関係文献を理解するには欠かすことのできない作業であった。
語学を勉強するには幾つか方法がある。私の場合は、会話中心の手法で後に文法で基本的な部分を調整し、後にボキャブラリーと地方の言い回しも含めての経験的な覚え方を選んだ。これは最初に語学学校に入ったとき担当の先生から薦められ、その方法を真に受けてのことであった。
はじめは勿論何を話しているのか解らなかったが、心配することはなかった。
時間と共に会話の内容と情景が理解できるようになり、次第に話の内容が想像できるようになる。話のスピードも普通の流れに従って理解できるようになる。
それでもまだ完璧とは言えない。
母国語でも大変なのに外国語ではもっと疲れると言ったところだろう。
今でも会話でつまずくことはあるがそれはその日の体調にもよる。
その言葉のハンディを背負って今年で26年目の研究生活である。
始めのうちは毎日朝から晩まで語学のやりとりで、ノイローゼぎみになるほど頭の中がカオス(混沌)となっていた。
そんな毎日の生活で私の受けた国費留学の奨学金は、9ヶ月間の援助であり、期間中は3ヶ月毎に研究報告を義務づけられていた。 |