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実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

グエル工業団地に教会建設の予定はなかった?

ガウディは知識のコメントで「人間はものができるまでは動けない。単に軌道線上を移動しているだけである」としている。
その軌道というのは規則のことであり自然の法則でもある。
自然界はこの規則とか軌道に従って存在しているということでもある。
人間社会における建築も含めて、引力と質量の関係からその動きはある種の規則に包括されているということになるのだろう。

グエル工業団地教会地下聖堂の階段脇にある木は、今回の修復工事でも伐採されているので合計4度の植樹をしたことになる。その植樹された木は、周囲にあるピニョ・ピニョネロ(地中海マツといって、樹冠はクロマツにているかも)と比較すると樹冠の形も違うし枝振りも違う、さらに葉の形も異なるのである。
にもかかわらず現地の管理人はもっと成長すると周囲の樹木と同じになるというのである。とすれば、樹木というのは成長する段階で突然変異でも起こすというのだろうか。

いずれにしろこの樹木に与えられた役目が何であったのか未だに気になる。
ポーチ内部から外を覗くと、柱と周囲の木の配列がどうも整いすぎているような気がするのは私だけだろうか。

一方で、ポーチの柱配置と地下聖堂内部の配置がどうも幾何学的にしっくりと納まらない。というより連続性がないような気がしてならない。ところがガウディ当時の模型では、そのポーチ部分までも実験に加えられている。
しかしそれはポーチだけであって、本体の構造体とは切り離してもおかしくはない、という模型の様子とデッサンの様子から伺える。
つまり建築荷重として重要なドーム部分の荷重は、ポーチまではかからない事が模型の様子で解る。

ここでもし、グエル工業団地教会建設が(工業団地計画の)最初から予定されていたものであれば、その場所には植栽をしなくてもよかったはずである。
にも関わらず、この辺りにあった30本程の松の木の伐採の話があったことから、地下聖堂の建設予定は勿論初めの頃にはなかったという裏付けになる。

つまり、当初は別の礼拝堂(グエル家の別荘として利用されていた17世紀の頃のカサ・ソレールの脇に増築された小さな礼拝堂)を用意したが、それでは納まりきらなくなったということになる。
工場の生産量が次第に大きくなり、従業員も1200人にふくれあがっている。
当然事業の拡張に合わせて従業員も増えることで、1898年にガウディは地下聖堂を計画する事になるという経緯が立証される。
1872年から1898年の26年間に事業が拡張したという事も言える。

現在、イシドラ・プーチ・ボアダによる実測された平面図が残されている。
私の実測はそれをベースにして確認の意味も含めた検証ということで、さらに詳細寸法の確認と高さ関係の実測をした。

ここの実測で悩まされたのは、どの柱も詳細が同じものが1つもないことである。
つまり詳細の繰り返しがない為にトレースもありえないということになる。
作図する者にとっては時間のかかる作業であることは事実である。
窓の大きさも柱の姿も寸法も皆違う。
壁等はスラグと型くずれした煉瓦による積み上げであるために、その施工も普通とは言えないということを実感した。

   
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