あまりにも不思議な「一本の松の木」
ガウディによる居室空間の考え方の中で「浴室は広々としていなければならない。ゆったりとした更衣室として、また身障者が利用するためでもあり、2―3人が入れるくらいのものとする」としている。これは現在のバリアフリー的考えに通じるのではないだろうか。
その意味を含めた気配りというのはカサ・カルベを始めとしてベジェスグアルド、グエル公園、グエル工業団地教会地下聖堂でも見られる。
特にこれらの作品にはベンチが設置される。
しかもデザインはエルゴノミック(生態学的)に作られている。
平たく説明すると人体実験によってベンチの形がデザインされるということである。建築学では人間工学として言われているはずである。
建具などでも同じようにデザインされる。
ガウディは、学生時代に職人達の工房の出入りもバイトを兼ねながら頻繁であった。中でもエドワルト・プンティ工房での作業は、家具を始めショーウインドー、鍛鉄、ステンドグラス等も作っていたところでもあった。そこからガウディ自らの製作スタイルが築かれ、しかも自ら模型が作れる腕を身につけることになる。ここにガウディ特有の建具、指物細工の知識が生まれたのではないだろうかと思う。またこの工房で生涯の友人で協力者であったジョレンツ・マタマラとの出会いもあった事を忘れてはならい。
この工房では、彼自らの手による建具金具までのエルゴノミックなデザインを身につけたというのは間違いだろうか。
コロニア・グエル地下聖堂の内部に設置されている家具は、二人かけのベンチがある。
それは肘掛けもあり、さらに折りたたみの式膝かけ台までデザインされている。
建築の方では内部の腰壁部分においてモルタル磨き仕上げになっているが、これなどもちょうど、人の手が届く所であり、その部分の安全性を考慮しての事であり、やはり音も考慮しての事ぐらいは想像できる。
このように、ガウディの繊細な物事への気配りは、自然界への動植物に対しても同じような姿勢で対応していた。あまりにも不思議な「一本の松の木」をこの地下聖堂の計画の中心にしていたという仮定をする事で、自然の物にも各機能を持たせるという「ガウディのポリシー」の裏付けにもなる。
この丘にはもう1つ歴史的遺産がある。
10世紀から12世紀に建てられたというサルバナ別荘である。つまりこの時代に植樹されていたものもあるということになる。が残念ながら地下聖堂建設前の現場の写真がまだ見つからない。
当時の地下聖堂周辺の写真から松の木林の樹木の高さは3m前後でこのあたりの植樹はグエル家がしていたことも考えられる。
私が知りたいのは当時の樹木の位置である。
どうしてもポーチの柱の配置が気にかかってならないのである。
ガウディのデザイン性から、建築のテクスチャーで松の木肌をアレンジしたとすると、その木の位置までもそれに沿って人為的な柱を設置したという仮設成り立つからである。
教会へのアクセスとしてポーチの上の階段脇にあった松の木が、1912年の工事中の写真では削除されていた。
ということは工事が終わってから更に植栽したという事となる。
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