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実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

煉瓦を装飾兼構造材として利用したテレサ女学院

ガウディはオリジナル性について
奇異を求めてはならない。
日常の事を改善するのがよい

と強調している。
それはまさにどれにでも言えることなのではないだろうか。

左官(アルバニール)は、一人前になると土工からはじまり組石、配管、仕上げまでもする職人となる。日本では宮大工に相当するのかもしれない。
煉瓦による伝統的なボールト形式の建物が鉄筋コンクリート造に替えられてきているために伝統的技術が低下し、需要も少なく、それを熟知した建築家も合わせて少なくなっている。段ボールで四角四面の内部・外部空間を作るだけで満足するというような社会現象が起きている。
通常であれば煉瓦にジェソ(漆喰)下地にモルタル仕上げ又は塗装、プラスター仕上げであるが、最近ではプラスターボードが内装で利用されるようになった。ガウディ当時はまだ材料の工業化においてはそこまでにはいたらなかったが、その前身のような圧縮カートンなどの開発はすでにこのころからスペインでも始まっている。その圧縮板業者エルメネヒルド・ミラージェス・アングレスによる圧縮板カートンの装飾タイルが挙げられる。その技術でカサ・ビセンス(1878?1888)の喫煙室の天井やバル・トリーノ(1902)などの天井装飾の素材を製造している。
プラスターは入っていないが、装飾材料としての開発としては1888年バルセロナ万博で金賞を受賞した優れものとされている。
一方で、ガウディはモダンな装飾技術を利用するだけでなく、伝統的な煉瓦を装飾兼構造材として利用することを作品の中で披露する。その代表作がテレサ女学院ではないだろうか。構造と窓周り、柱や梁、中でもアーチの特徴はそれまでになかった美しさを表現している。
バルセロナのサリア地区で、その背景にコルセローラ山脈麓とサン・ヘルバシオ村がある。この地区はカタルニア人が古くから住み着いた街であり19世紀にはバルセロナと合併することになる。
近くにはベジェスグアルドもある。学校も沢山集まっている文教地区でもある。
市内の中ではもっとも坂道が多く、その真ん中を通る内側環状線ロンダ・ヘネラル・ミトレというのがある。
このヘネラル・ミトレは、ディアゴナル・コルト・イングレスとグエル公園までの山手の通りである。
中でもディアゴナル大通りとビア・アウグスタ、モンタネール通り、バルメス通りがバルセロナ市街地に連絡している。
サリア地区のパセオ・ボナノバからディアゴナルにかけてモンタネール通りがあり、それに平行しているガンドゥシェル通りがロンダ・ヘネラル・ミトレと交差し、その山手左角地にテレサ女学院が位置している。

1887年7月15日、エンリケ・デ・オッソは、サンタ・テレサ会の会長サトゥルニーナ・ジャサ(Saturnina Jaasa)尼僧との了解のもとにサン・ヘルバシオ(San Gervasio)村、バルセロナ近郊ティビダボ山の麓ガンドゥシエル(Ganduxer)家から130,000ペセタで26,104平方メートルの敷地を購入し、そこに1888年4月にサンタ・テレサ会本部を設置する。
     
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