ガウディが考える建築のエコと美
ガウディは芸術について
「全ての芸術作品には魅力(これは世界観があり、すでに理解者や予言者全てをひきつけている)がある。オリジナルを求める時、その魅力の特性を忘れると、その芸術を失う。」
と言っている。
この論法からすると建築、モニュメントそして街が芸術的であるということは、魅力のある街であるという事になる。つまり魅力というのは金銭や経済云々の前に、本来もっている自然の姿、形が魅力的であるべきであり、それが自然風景であったりする。たとえ小さな街でも住民によって奇麗に整備されると、それなりに魅力的になったりする。さらに初々しい心や個性ある街という事にもなる。
日本は、四季折々の景色や伝統的で民族的思想の侘び寂びによる素朴さが美しさを醸し出し、住まいも「質素」でありながら「雅」という美しさがある。
これも金銭云々ではない。
ガウディは自筆の日記に「形がより完璧なものは装飾が少ない」と書いている。
このことからも美の根源は素朴さであるということになる。
日本の伝統工芸や建築は、これに相当すると感じている。しかもガウディの思想はこの辺りに共通するのだろう。この美の文化が本来求めるべき姿なのだろうということにもなる。
現在では「ミニマリズム」という言葉がデザインの世界で横行している。
しかし、本質を掴んでいるのだろうか。
色、空間、素材を吟味して高価なものにもなっていることもある。
この辺りが疑問点である。
ガウディのシンプルさはそれだけではなく、エコロジックなことも考えながら吟味された技術が、建物としての優しさに生かされている。例えばグエル公園では、廃材を利用して表面仕上げをしたパビリオンや蛇行ベンチとなっている。煉瓦はスペインでもっとも安価な素材であり、これで下地が造られ、高架では現地で採掘された石を利用している。
そんな部分だけでもエコロジックな意識を見せている。
ガウディがもし日本の伝統建築を見れば、彼の美観からすれば評価が高いだろう。小堀遠州の作品となっている桂離宮は、その評価の対象にもなるだろう。
このように民族がもたらす伝統美の根源は、時代、様式を超越して本質的に共通するのではないだろうかと信じている。民族を超えた、ユニバーサルな美しく魅力ある建築もできるということにもなる。
現在での「ユニバーサル建築」は、鋼材、ガラス、コンクリートの組み合わせによる建築で象徴され、それをある建築家が「インテリ建築」と命名していたことを想い出す。
本当にそうなのだろうか。ハイテクを駆使して生み出される建築、全てがIT化によって制御される建物、一見未来建築に見えるがこれはエネルギー問題を完璧に解決されてのことでもある。これに関しては未だに完璧ではない。化石燃料にも期限がるからだ。それに代わるソーラー、核、風力、水とある。最近ではハイブリットでそれらを組み合わせたエネルギー化の研究も進んでいる。
このようにしてエネルギー問題の検証は、永遠につづくことからも完璧とは言えないのだ。
完璧ではないエネルギーを利用するハイテクを、建築に利用するにもやはり限度があるということになる。 |