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実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

抜かれた4本の柱はエコ?

ガウディの日記にモチ−フの決め方についてコメントしている。
−地上の植物で素材に合うもの
−存在する動物の場面
−自然界では一般的なもの
−花が育ち、水面が表現されていると考える小さな池で、大きな効果があるものとして水のレベルを示す。
−曲がったボ−ルト状の二つの葉は、水に傾きそして水平線の上で水面から飛び出している様に目立ち、そこで蜻蛉が散歩している。

この表現はガウディのウイットに富んだ観察の一面が伺える。

グエル公園の噴水で見られる動物は、どんな類いの動物をモデルにしたのだろうか。水を常に吐いているのだから少なくとも水に関わる動物ということにする。すると両生類や爬虫類の動物が想定できる。中でも爬虫類(reptil)のトカゲ(sauria)からはじまり、似たような動物としてヤモリ(Salamandrae)やイモリ(Gekkonidae)も登場することになる。さらに手の形からすれば、手に吸盤を持っている動物は手の先が広がっていることからヤモリを想定できるだろう。
再度グエル公園中央入口階段の中央に見られるカラフルな動物を見ると、手先の部分が広がっている。それからヤモリの類と想定できる。
この動物なら古い家や野原でもみかけることがあることから、身近な動物ということになる。

ところで、前回にも触れたエコロジックな「エコ」というのはどんな意味なのだろうか。
ガウディは、素材の利用方法でリサイクルをこの公園計画で展開させる。これとエコロジーは関連があるのだろうか。自然や環境保護という大義名分がエコロジーであるとするならば、ガウディの手法もその中に含まれるということになる。ところがエコロジーと言う概念は1960年の言葉であり、アメリカのラケール・ケーソンという女性科学者が「沈黙の春」という書を執筆して以来、環境保護運動用語となっている。あまりにも自然破壊が進んだ結果、その反動として自然の再利用とその保護を呼びかけての言葉としか思えない。ガウディの時代は、まだ現在ほどの工業による汚染はなかっただろう。しかしあまりにも当時の社会事情からはみ出たようなグエル田園都市計画では、立地条件、交通事情、コスト面も含めて現在のような便利の移動手段が考えられていたわけもでもない。
市街地から遠かったことも人気に欠けた理由となり、公園計画に変更したことくらいは洞察できる。一方で、建築技術的には、既にリサイクルを利用しながら環境をも考慮した高架をデザインしていることから、エコロジックな配慮ということでは「エコ」といえる。
例えばベンチの素材となっている廃材の釉薬タイルや磁器の再利用から、ベンチの形を作るための生体実験(エルゴノミック)による型抜き、多柱室の歴史的建築様式とされるギリシャ建築に見られるドリス式の柱、さらにプレファブを利用した梁、スラブの構成をベースに柱を4カ所抜く。列柱を並べる事は施工上問題がないだろう。しかしそのうち四本の柱を抜くという理由に注目する。抜くにはそれなりの意味があるはずだ。

「気まぐれに抜いてみる」などという事はガウディにはありえない事でそこでどんな意味があるのか考える。
     
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