好奇心の延長にある理想郷とは
街角や建物を計ると科学ができる、というと首を傾げるかもしれない。人によるモノが科学の産物であるという起点からこの発想が成り立つ。つまりそれらを作る人達の思いが伝わってくることから科学的な分析もできるという意味だ。
どの世界でも、何もないところに物はできないことは当然である。
地域に生活が始まると知恵が働き、何かしらの形が生まれてくるものだ。
「創作者は新たな創作物を作りだし続ける。そのために自然の法則を探す人達であり、彼等は他の創作者にも影響する」
としてガウディは創作者の姿勢を示している。そこで「新たな創作物を作り出す」と言う例として、グエル公園ではどんな部分となるのだろうか。例えばプレファブ工法と廃材利用の展開、さらに神話と建築機能の融合、しかも建築・設備・機能までも統合される建築が計画されている。具体的には、植木鉢の高架、雨水の濾過装置としての広場、貯水槽兼市場、吐水口と神話、さらに神話と健康が考慮されたオブジェ、レゴのようなパビリオン、廃材利用のプレファブ・ピース、しかもカーテン・ウオールといったガウディによって考案された新たな意匠技術が盛り込まれている。
これはガウディだけによる技術開発でない。職人達や建築家達とのワークショップの中で生まれた事であることを洞察する。カサ・バトリョ、カサ・ミラの工事に携わったホセ・バイヨ・フォンという施工業者がバセゴダ博士との会話で発言している様子は、まさに新たなものを生み出す為のワークショップになっているからである。
他にガウディの身の回りのお手伝いをしながらサグラダ・ファミリア教会で彫刻や模型を作っていたホワン・マタマラの書き残した「ガウディとの道のり」という未発表の原稿の中にも、人間ガウディと協力者達との触れ合いを記している。
それらの話を想い出しながら、例えばグエル公園の詳細を観察する。ギリシャ建築風の柱を想起させ、しかも荘厳さと安定性を醸し出している多柱室の創作の様子が見られる。サグラダ・ファミリア教会では、歴史的建築様式の集合体のような作り方なども一つ一つ丁寧に、歴史や生活の知恵や工夫が反映され演出されている。
グエル公園計画が始まったのは1900年である。 一方サグラダ・ファミリア教会では既に誕生の門の下部が施行中であった。そんな時に「未来の教会建築」として荘厳で安定した理想のゴシック建築に矛先を定め、さらに仕上げにおいては幻想でしかなかった事は、その完成予想デッサンからも理解できる。そんな理想建築を計画した心は何か。
建築、芸術、モノ造りの面白さというより、実は理想的な形を追求する過程に作業の醍醐味が生まれ、それが彼の本意であるようにも見える。限りなく続く好奇心の延長上に「理想郷」があるということなのだろう。その理想とは、実は目の前の現実の事なのだろうとさえ思えるが。
例えば戦国時代には、現世界は理想郷になる。その現実となった理想郷に私達は生きている。
つまり理想郷に生活する人々のイマジネーションで建築を計画する場合も、伝統様式や地域のアイデンティティーを反映させる事でさらなる理想郷が生まれる。 |