視覚と物理的安定を台形に求めて
ガウディは
「考古学とは別に建築家の在り方として、初めにものの関わりがある。つまり場所によっては形を模倣せず、精神を掴んである性格を持ったものを作る」。
と言っている。
古文書で調査というのは見慣れない言語に出会う事が多い。だから片手に辞書が不可欠である。それでも慣れていない単語と知りながらも調べはじめると、それなりに珍しさも重なって面白さを見つけ出す。そのように単語を調べていると、次第に何を求めているのかが見えている。
建築の場合も同じように、用途に応じてその存在感を検証することで建築作家の意図などが見えてくる。グエル公園においては、地中海文化を反映させながら遠近法のコントロールで、広々とした内部空間を感じさせた均一な空間を演出したりしている。
安全性はもとより、耐久性や機能性も重視されるのは建築においては当然のことである。建物は人々によって気持ちよく利用され、さらに芸術性と機能が上手に調合される。
ガウディの建築であるテレサ学院でも、オーナーとのやり取りの中で「良い建築の探求」についての言及がある。この言葉には彼の示唆する「理想的なゴシック建築」に繋がる要素がある。言葉の解釈は経験の違いにも影響されると思う。単語が持つそのものの説明だけではなく、学習や経験による付加価値が名詞と組み合わさることで理解の仕方が変わる。
ここでガウディの唱える「良い建築」とは、質、機能、耐久性、芸術性も含めて使いやすさのことを示唆しているのだろうと考えた。場合によってはその経済性についてはどうなっているのだろうと思うかもしれない。
ガウディがテレサ学院の計画を請ける時には、煉瓦の追加予算には余裕がない事はわかっていた。そこでガウディは
「エンリケさん、人それぞれにテーマがあります。私は家を造る事、貴方はミサや説教をすることです」
という。ガウディの緻密な計画性と経験からくる気持ちの余裕は、予算に合わせてどのようにでもなる事を示唆しており、実際に完成させていることからも理解できる一場面である。
グエル公園においては最初から素材の選択を計画にいれていることは一目でわかる。特に施工規模から洞察できるのは材料費がかさむ事である。これらを解決するその方策として「プレファブ工法」と「廃材による破砕タイル」を全体の手法とした計画になっていることである。
この多柱室もその計画方針に従って施工されている。
それだけでは建築としてまだ不十分である。空間演出として遠近法の調整が含まれている。
これも当然利用する側の生活の中での心理状況を配慮してのことにもなる。
このサラ・イポスティラの外周の柱はどれも内側に傾いている。人によっては何で傾いているのだろうと思う人もいれば不安に思う人もいるだろう。
実はギリシャ建築で見られるアクロポリスのパルテノン神殿でも同じような仕組みになっている。つまり神殿そのものが視覚的な安定感ということから、外周の柱を内側に若干倒し台形状とすることで、視覚的にも物理的にも安定するというのである。
それによって市民達が遠くからその神殿を見たとき、安定した荘厳な建物として見えると言うことで知られている。当時としては彼等の崇拝者を祭る所なのだから、当時の英知を振り絞って計画したに違いない。 |