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建築家トップ > バルセロナ便り > 第222回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

美学は感性であり論理学である

ガウディの装飾概念と美的感性はどうなのか。彼の審美眼がこの芸術性の中に秘められている。彼との日常会話でも芸術論に関しては尽きる事がなく、彼の中から湧き出ている感性の意志表示であることはその創作過程でも見られる。彼の初恋の人として知られているペピータとのエピソードとして、初恋相手に対して彼の会話の内容というのは芸術論に終始していたというのは興味深い。特に彼の日誌で記されている装飾については、今までその一部を私のこのエッセイの中で何度か紹介して来たが、その日誌の断片を直訳的に紹介する。

ガウディは
装飾に関心を持つには、詩的アイデアを想起させなければならない。題材やテーマ
は歴史、伝説、躍動的、象徴的、人間の生活における寓話、躍動と受難などである。そして自然を尊重し、動物王国、植物、地形を表現することもできる。また体の形態、表面、ライン、それら全ての構成における美学の本質でもある幾何学やコントラストは、プロポ−ションの構成に役立つ。物が非常に美しくあるためには、その形は余分な物があってはならない。素材の条件は、単に役立つものとして、与えられる素材によることが理解できる。それから通常の形が生まれ、目的と素材の管理によって精度を高め、コントラストによって、周囲にもっと優しい形となる。もしくは、躍動感や雰囲気が十分な形態としてシンプルな装飾を補助し、形態を讃え、機械的、素材的な部分を削除する。必要性に応じて十分満足な形態となるように物の”特質”によって条件を与える

と装飾についての論理を書き記している。

これでもわかるようにアイデンティティーの表現性を重視していることが伺える。
しかも地域にはそれぞれの歴史があり、しかも生活の中で育まれてその特性が生活環境に形が反映されるべき事を仄めかしている。
素材の特性を理解するのは、ものづくりの上ではもっとも基本である。
それを無視してものづくりと言うのはありえない。まるで空気で家を造りなさいと言わんばかりの比喩にもなってしまう。
つまり素材に適応した利用の仕方を作者は理解するということを示唆しているのである。
これが実は彼の審美眼であり、一生この概念を守り続けているということを協調したい。
美学の真意は何かとしたとき、物事の本質を見極める事。それぞれの素材において、適切なあり方を知る事が美学の世界という事を示唆している。
哲学に包括されている美学が、日常的にどんな役に立つのだろうかと。
美とは何かということも認識しなくてはならない。しかも、美というのは感性的な言葉であると今まで私は思いつづけてきた。
ドイツの思想家バウムガルテン(1714-1762)は1735年に「美学」を執筆して感性的な認識としていた。哲学者カント(1724−1804)は、美学を快不快の感性である事を判断力批判の中で説明しているという。

つまり論理学では感性学としての認識としていることである。それで学問上で上下をつけて分類しているのである。この世のものを全て分類するということはありえるのだろうか、またその必要性はなにかということも気になる。
     
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