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建築家トップ > バルセロナ便り > 第230回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

1882年を境に作図しなくなった

ガウディ建築は、単なる建築と言うより彫塑的な部分が多いことは知られている。私も初めて見た時から今でもその感想は変わっていない。その彫刻的な建造物の作図ではどんな問題があるのだろうか。
まず曲面体というのは作図がしにくい形である。しかも数学上の放物双曲面体というのは実測も不可能であり、作図はもっと厳しい。理論上の作図はできても、それに類似した自然界の形というのは実測と作図に困難をもたらす。
そこで、カサ・バトリョとカサ・ミラの建築許可申請図を覗いてみる。現存の建物とはほど遠い建築許可申請図である。

輪郭だけの作図から、到底完成予想などできない。グエル公園の正面入口のパビリオンの作図でも、完成の建物とはほど遠い。

それからすると現在の建築図面というのは、建築申請図や施工図面も含めて殆ど完成に近い姿で描かれている。しかも施工管理上、修正図までも要求されることさえある。
一方でガウディの建築というのは完成図を拒絶し、建築施工が模型から作業と、職人の腕にかかる伝統工法による建築施工に似ている。
日本の宮大工も支割図だけで建物を作るということを、日本建築史の竹島卓一教授から伺った事を想い出した。
ガウディはさらに彫塑的な建築に挑む。そうなるとさらに図面も難儀する。
その中でガウディはどんな対応をしたのだろうか。
彫刻家達とおなじようにおよそのデッサンから始まり,模型製作するというコンセプトによる作業が考えられる。それで建築施工によって詳細を詰める作業となる。つまりガウディはこの工程でデッサンから模型づくりに入る。そして模型製作では25分の1、10分の1、そして1分の1、つまり原寸までの三段階の模型を製作していた。しかも全て石膏模型であった。またその雛形も石膏であった。その模型も最近ではグラスファイバー等も利用している。
次に原寸石膏模型を現場に設置して最後の調整を施す。
その作業を済ませてから最終の石造にコピーとなる。
これらの工程ではかなりの時間はかかるが、少なくとも作図よりは施工がより確実である。
建造物の建設模型製作は、紀元前からの作業でもあることは知られている。一方で建築計画図は、13世紀スイスのサーンガーレンの修道院からだとカタルニア工科大学のビジャヌエバ教授が説明していたことを想い出した。時間を遡っての話しは、歴史的であり調査をさらに進める事で新たなる可能性もあったりするだろう。とすればもっと古い建築作図があったりするのかもしれない。
特にエジプトやマヤとかインカの都市を建造する場合に、模型だけかそれとも絵文字のような作図もあったのかもしれないとさえ思えてしまう。描く事を覚えた人々には、さらに意思伝達手法としての作図があるからだ。その一部がヘルグリリフィコまたはグリフォとも言われている。しかも紀元前のルペストレで、単線でインディアンのよく利用していたテントのような作図をみたことがある。あれを作図として考慮するとどうだろうか。
意思伝達手段の作図から模型に代わって、より合理的な手段となった事ぐらいは想像がつく。しかしガウディはなぜ1882年以降、作図をしなかったのだろうか?

     
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