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建築家トップ > バルセロナ便り > 第231回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

素材へのこだわりと職人魂

ガウディは日誌のなかで「浮き彫り等に関して、図面は受け入れがたい…」と記している。つまり作図は彫刻などの浮き彫りのようなものは難しいということをほのめかしている。
そこで考えられるのは
1.作図よりは、実際に立体を作る方が、作業が確実である。
2.作図の中でも詳細図を描き始めると限りがない。
3.模型よりも作図に時間がかかる。
4.彫塑的な部分というのは定規では測りきれないこともある。
5.人件費がかさみ、抽象的な作図に時間はかけられない。

次にサグラダ・ファミリア教会で作図よりも模型が中心であった理由に
6.予算が無かった

ガウディ自らも模型をつくっていたことはマタマラのデッサンからも伺われる。しかも予算の不足からガウディ自らも街頭にでて教会工事の寄付を集めたと言うことまでいわれている。とすれば当時、この教会には十分な予算があったわけではないことから人件費の節約もあった。
そんな事情を知っていたガウディは、仲間達と共に使い慣れた素材を利用し発展させていた。ガウディの指向性はさらに職人的な建築家として、作図よりも模型を中心とした作業を進める。それによって石工や煉瓦師との連携作業から作業もスムーズに流れる。ガウディが学生時代のバイト先で知り合った模型職人のジョレンツ・マタマラと一緒にサグラダ・ファミリア教会の仕事に従事し、その後1888年頃から当時22歳のフランシスコ・ベレンゲール(1866-1914)がガウディの右腕として協力することになる。以来、ガウディの行動は1914年まで大きく広がる。
中でもコロニア・グエル教会地下聖堂計画ではガウディの生涯でもっともエポックな時期であり建築史上でも画期的な構造改革を始める。10年間にわたって 構造計画をすることで、それまで継続されていたゴシック様式が見事に改良される事になる。
そこでさらに建築家ホワン・ルビオ(1871−1952)の協力が加わる。
彼はガウディの構造を担当し、特にグエル公園の土塁における構造計算をベクトル解析で説明している。

このようにしてガウディの成熟時1900年代を迎える。
ガウディの模倣や折衷様式はこの新世紀を迎えると同時にガウディ主義様式、つまりガウディニズムと称しても不思議ではないほど歴史的建造物からの逸脱を遂げ始める。
その顕著な例として、コロニア・グエル教会の構造計算と逆さ吊り構造実験模型による新たな構造解析を取り入れた。その為に10年の歳月を費やした事からも、彼の執念と新たな形への願望が胸中にあったことを証明している。
しかも素材の使い方も、鍛鉄職人であった父フランシスコ・ガウディからの遺伝子を引き継ぐようにして、エコロジックな思考による経済観念が職人建築家としてのポリシーを形成する。つまり伝統職人達の材質への拘り同様に、生活必需品を作るときの使いやすさや耐久性を重視した職人魂が作品に反映されている。しかも大量生産のような工業製品を作る前からの職業でもあり、ものへの拘りを大切にする思考は衰えてはいない。
現在でもトラディショナルな物というのは工業製品に比べると耐久性が違う事くらいは知られている。

産業革命後の工業製品と消費社会が普及する事で、流通は潤化するが逆に生活必需品の寿命などは私が説明するまでもなく明らかな違いを見せている。

ガウディの建築作品を創る姿勢は実はこの辺りに真理をおいているのではないかとさえ思えるほどである。
     
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