モニュメントとなるガウディの建築物
芸術・建築家アントニオ・ガウディの建築における芸術性を絡めた音への拘りが、どのように建築の中で表現されるのだろうか。その前に建築とは、芸術性だけではなく人々が利用する機能をも考慮しなくてはならないことを認識する必要があるだろう。
通常は機能と経済性が優先され、芸術性は補助的になるものである。
ところがガウディ建築の場合、機能と芸術性が優先され、経済性は補助的に考えていたとすると語弊があるだろうかと思えるようになった。
確かに建築を施工するにはある程度の予算が必要になる。建築計画を受ける建築家達はその辺りを理解して計画を進める。
ところが、サグラダ・ファミリア教会の建設は予算があってないに等しい。
芸術・建築というのは、建築本来の役目と地域に対しての経済効果とビジュアル効果を産み出すわけだから、その計画次第では投資額で計り知れない地域のランドマークになったりもする。
ガウディが建築を計画する時には単なる技術や経済的建築という概念ではなく、地域にある種の還元をすることを考慮していた事は確かである。その意味で経済性はガウディにとっては補助的である。
セサール・マルティネールとの会話では芸術作品について
「モニュメントを所持する国では本物の資本があり、それは利益を生み出し、 訪問する観光客による利益を保証する。 商業的に重要な首都は、このような芸術生活の中心となっている」
と評価している。
つまり歴史を踏まえた地域のアイデンティティーを反映させた作品が芸術的な作品となることは、日本の歴史的建造物でも理解できる。どのように地域性を演出することができるかということである。しかしものを作るには、計画によって予算のかかり方に大差がある。たとえばピラミッドの予算と住宅の予算とを比較するとどうだろうか。比較する事さえできない違いを感じる。
モニュメントは必ずしも建築とは限らない。地域を反映させたオブジェや記念碑もモニュメント化することさえある。勿論自然界の景色もその一つである。そのことが世界遺産を審査する場合のカギにもなっている。
つまり芸術作家は、モニュメント的なコンセプトを無意識のうちに作品に演出する能力を備えているということだ。
ガウディの建築がモニュメント化されたからというのではない。その以前から私は彼の作品を実測し作図して来た。その中から読み取れるのは、作品の創作性と作品に至る経緯、つまりデザイン手法に興味が持てるようになったことである。これも別の意味で人類の遺産としてみることもできるのではないだろうか。
それは作品そのものに内包されるデザイン・プロセスと論理のようなものであったりする。私ならこのように応用できるはずだというところまで理解を深める事で更なる関心が高まる。さらに付加価値として地域の民族性や神話等が作品化されることでその物語性が高まる。
芸術・建築家の場合はそれだけには留まらない。
科学的・技術的視点からの解釈と演出効果を醸し出しているところが私の好奇心を揺さぶってくれるのである。
科学的な視点による音の効果を建築に考慮することは至難の技である。しかも世界に類のない施工技術と、周囲への視聴覚的影響はさらにガウディ建築のミステリーへと導いてくれる。 |