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建築家トップ > バルセロナ便り > 第238回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

職人との対話と研究を繰り返す

モンセラー山の中腹にあるサンタ・クエバ「聖なる洞窟」へは、ベネディクト派修道院からフニクラー又は徒歩で下山しなくてはならない。そこにはキリストの誕生が復活までのシーンがその山道にそって設置されている。ガウディの他に1896年には建築家プーチ・カダファルクによって計画された「キリストの磔刑」、1899年にはガウディの師匠であった建築家ホワン・マルトレールによって作られた「十字架への道」、さらに1901年にはプーチ・カダファルクによる「キリスト誕生」も作られている。
つまりガウディの計画による「キリストの復活」は、1903年から1916年にかけての作品であり、彫刻家リモーナがプーチ・カダファルクとも協力していた。しかもこのリモーナはサグラダ・ファミリア教会誕生の門の彫刻を手がけていたが、当時のカタルニア・モデルズモを代表する彫刻家とされている。彼の人体像の表現は滑らかでありながら、血管までが透けて見えるほどにその立体感を彫刻に演出する見事な作品となっている。
リアリティーの中に繊細さと滑らかさを演出させた表現が、彼の彫刻の特徴である。その表現の優しさは恐らくガウディとの作業の中で、人間的な波長が一致する部分であったのかもしれない。
これは作家の表現する感性が見る側に伝わってくるのである。
つまり作品を作る人の心が表現されている、と言う判断は大きな誤解なのだろうかと考えさせられえる。ここでもしこの視点が真理であるとすれば建築作品でも同じ事が言えるのではないだろうか。
ガウディの人間性については、職人たちや施工業者達との会話からも伺う事ができる。例えば施工業者ホセ・バイヨ・フォンはガウディと先のキリストの第一玄儀、ロベル博士のモニュメント、カサ・バトリョ、カサ・ミラなどの施行を請負った人である。その彼との会話文について、故バセゴダ教授によって1970年1月21日にバルセロナのクロット通りにあったホセ・バイヨ・フォンの家でインタビューが行われた。それを録音テープに残し、後の2003年にカタルニア工科大学バルセロナ高等建築学部から出版されている。この中で当時のキリスト第一玄義の設置計画の様子を説明している。
この会話の中で、「ガウディ氏は親切で良い人です。正しい方向でなければ、怒り、怒鳴る事はありませんが、むしろその逆に皆より声を低くし、よりすごみを効かせていました」とガウディの人間性を説明していることに注目する。ここでガウディの誠実性を伺う事ができる
しかもそれを損なうような場面になると声が低くなると言うのは面白い。
それは周囲の雰囲気を配慮してのことであり、彼の忍耐が伺われる。このような行動は彼自身の言葉としてベルゴスとの会話に何度も繰り返されている事である。
バイヨは「私はこの人(ガウディ)と仕事をすることがうれしかった。一銭も儲からなかったが多くの指導をしてくれましたので私は得をした。だから彼と仕事をする事は好きでした。」と言い残している。
この言葉からも理解できるように、現在ではよく聞かれるワークショップを毎日のように職人たちとしていた裏付けの言葉となる。

計画者の一方的な押しつけではなく、ものを作る側の職人達との対話と研究を相互に繰り返し、もの作りの進歩をはかっていたという一場面である。
     
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