サグラダ・ファミリアに建築基準法は適応できるのだろうか?
ガウディによる動植物の表現は、リアリズムに徹していると言うのが相応しい。というのも、動物達は生きたものから型抜きしたとされているからである。まるでギリシャ時代やルネッサンス時代の手法に基づく制作方法である。
誕生の門の希望の入口、そして信仰の入口における彫刻群はそのように作業が進められ、優れた動的な一瞬を捉えた彫刻群になっている。
ところが誕生の門のなかでも中央の慈悲の入口だけは原寸模型があったにも関わらず、1940年以降に新たに制作されてしまった。ガウディ当時の模型に従えば、より忠実にガウディ的表現ができたはずだが残念な状態になっている。
建築の中における彫刻や装飾的な部分は、一時的なオブジェとして捉えるとそれでよいのかもしれない。つまり時期がくると着せ替え人形のように取り外して元の姿に変える事もできるからである。装飾とはそういう物であり本来の建築美の根源とは関連しない。その事についてはガウディの会話集の中における美のあり方で唱われている。
建築は総合的な芸術である。その中の彫刻はあくまでも部分を表現する一部でしかない。
大切な事は全体の調和であることから、それを損なうようなものであれば当然削除されてしまう。必要のないところに異物があると不自然と思えるようなものとなるからである。ガウディが作図をしていたとするなら、サグラダ・ファミリア教会における彫刻群もその作図をしたのだろうかと考える。これはどう考えても無理としか言えない。通常建築の作図はしたとしても彫刻の作図までしないし正確性にかける。つまり通常はモデリングからの模型作業となる。
通常の彫刻群は、古文書の写真にも残されているように、模型からの施工となる。しかもその元になるのは生きたものから雛形をとると言う手法を利用しているわけだから、その延長で遠近法によるサイズや形の調整をしていた事は洞察できる。
とすれば、ガウディ当時の演出を理解するには同じような手段のシミュレーションを必要とするはずである。現在はどうだろうかそれが気になって仕方がない。
ガウディは、優れた彫刻家達の傍で全体の調和がとれるように調整を計っていたことは彼の会話からも伺われる。
そこで彫刻家達は建築計画にしたがって職人達と共にワークショップをしながら、それぞれに適した施工方法を実施していた事が伺える。
それが当時からの合理的な作業であったにちがいない。それらの目的は現場にそった適切な判断と調和、そして施工処理を余儀なくされていたからである。
ここでは時間と経費の問題に関しては論外ということになるのだろう。その為に寄付やお布施を集めに時々その為の活動をしていたとされている。
つまり「献身や奉仕の場所」とされている贖罪教会というのはそんな環境といえる。そうすることで理解しやすいし建築基準等という地域社会の基準に当てはめてしまうのもおかしなことになってしまう。
建築基準ということを時々尋ねられる事があるが、ではゴシック建築にその基準を適応できるのかという問答がはじまる。しかもガウディの考えていた「理想のゴシック建築」に同じようにその基準を適応できるのだろうかとさえおもる。すでに133年の施工時間が経過している。構造も素材も基準外の建築であるといえるはずである。 |