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建築家トップ > バルセロナ便り > 第252回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

潤いの空間としての建築

文明によって形、器、空間が人工的につくられるようになる。用途、機能、地域性、アイデンティティーなどが組み込まれてより複雑な形を作るようになり、合わせて作図を駆使するようになる。さらに2次元で作図された姿を立体として模型や現実の形として施工するようにもなった。
ガウディ建築のように形において伝統的な施工法を利用しながら、さらに未来に継承するような画期的な計画がされたが、それを装飾的で流行の最先端というような表現で見る人達が大半である。
彼の建築は作図をするとそれだけで数年は流れてしまうほどに詳細が複雑である。すくなくても建築計画依頼をうけて数年かけての作図作業では,依頼した方も苛立つだろうしそんな予想もたたない。

特に教会建築の場合、ガウディ建築においては膨大な作図が必要になるとさえおもえるようになった。
そこには幾何学以外の彫刻群があるために情報量の多さに圧倒され、予想外のカルチャーショックをいまだに想い出す。

ガウディがもし作図をしていたとするなら、模型を制作する時間もなくなる。しかも立体を把握するだけでも気が狂うほどの情報量が盛り込まれている為に、それだけでもショック死してしまうほどである。
ものというのは時間によってその完成度が異なる。時間をかけるほどものや形は成熟する。

その意味も踏まえてガウディ建築は、ことごとく作図のしにくい作品であることは自分がその作図をしたことで理解できるようにもなった。
つまり建築の納まりに限らず演出的な部分での彫刻も多くある。例えば12使徒達が設置されている鐘楼をはじめとする誕生の門においては、アダムとイブから歴史を垣間みるようなシーンがキリスト誕生から青少年時代を得て天国でのマリアへの戴冠式までがこの誕生の門の彫刻群となっている。
これだけでも彫刻の博物館にも等しいくらいの彫刻群が納まっている。
時代を遡って私の好きなロマネスク建築が2000軒以上あると言われているカタルニアの建築には、どことなく質素であるということがガウディの中にも反映されている気がしてならない。
その後に現れるゴシック建築に至っても時代の装飾もあるがあまりけばけばしさが少ないのは私の気のせいだろうか。ゴシック時代は江戸時代と同じように数百年の歳月を生き続ける。そこには時代背景と民族性等も建築に反映されたりする。
建築を生活の一環としてみれば当然に地域性が反映される。それは素材、構造、規模にも反映される。単なる住宅の規模では想像がつかないかもしれないが、少なくとも放牧民族と農耕民族の住宅のあり方にも違いをみているのは知られている。
その中でさえも生活のゆとりとか余裕とも捉える事ができるアートが、装飾的に施されたりもする。
その生活を管理しているのが女性達であったりするが、その場所には生活する上での潤いや楽しさを反映させたりする本能的な優しさが見え隠れもする。
そのような優しい生活環境をガウディが同じように演出できるように計画していたということは、彼の建築の随所に見えたりもする。

例えばフィンカ・グエルのドラゴンの扉とは別に門番の家の煙突、内部空間の階段室や煉瓦積みの詳細とつづく。
     
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