一方サグラダ・ファミリア教会に関与した人として忘れてはならないのは、サグラダ・ファミリア教会建設委員会の建築顧問ホワン・マルトレールを筆頭にホセ・マリア・ボカベージャとなる。
しかし、1883年にガウディがサグラダ・ファミリア教会の主任建築家として仕事を始めてから間もなく、1892年に教会の創設者ボカベージャが亡くなることで短い付き合いとなった。
ところがボカベージャの後、1895年まで教会の建設工事をどのように運営したのか不明である。ガウディはあくまでも主任建築家であって、「建設工事現場の運営はガウディの担当ではない」と言うことはボカベージャと契約を交わしていることから明らかである。
そこで、サグラダ・ファミリア教会の継続者で建築家プーチ・ボアダの“サグラダ・ファミリア教会”の年表を覗いてみると、カタラ司教が1895年から96年にかけて教会の建設実行委員会を組織し、F.ミジャン師を筆頭にJ.マルトレール、A.カミン、J.ダルマセス、J.ノゲス、R.ノゲスをメンバーとして挙げている。
これが最初のサグラダ・ファミリア教会建設委員会ということで、この組織が教会建設工事を運営して現在に至る。
中でもJ.マルトレールの存在があることに注目したい。
彼は1906年に亡くなるまでガウディの仕事の顧問をしていた。
つまり1883年からガウディのサグラダ・ファミリア教会での作業はマルトレールを顧問として作業を進めていた事が洞察できるのである。
その中でガウディはあくまでも建築のみを担当していたことから、他にも運営の危機にまで関与するボカベージャの代理人がいたはずである。そのためか、ボカベージャが亡くなって3年後にこの教会建設委員会となるのである。
ガウディとマルトレールの関係もガウディが大学時代からであるから約30年の付き合いということになる。
それらの交流と建築における物語性は、ガウディの建築作品の中で一番解りやすい建築のディテールにも演出され表現されている。
ガウディの場合は抽象と具象を上手に使い分けている。
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