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建築家トップ > バルセロナ便り > 第288回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

地域のアイデンティティーとシンボルとしての建築

ガウディは塀や壁について
のっぺりした水平の壁は完成していない。鋸歯型パラペットが防御で必要であるが軍事的な意味ではない
としている。
これは中世時代の西洋建築に見られるalmena(のこぎり壁、バトルメント)という詳細を示している。この場合は建物や構築物の上に登れる場合の仕上げ方を示している一例である。ガウディがこの言葉を残したのは、1913年から23年の間である。つまりグエル公園を計画実施してからの話となる。
そこでグエル公園の塀や壁を見ると確かに中世時代のようなのこぎり壁、バトルメントには見えるが厳格な形ではなく,どちらかというと愛嬌のある優しい形になっている。それが装飾的であるが、実はそれは手摺りを兼ねての柵ということにもなる。
つまり装飾的な処理をする場合に、当時ではすでに必要としない詳細をあえて利用するそれなりの理由が必要である。ここでガウディは「軍事的な意味はない」という言葉で表しているが、近代においては戦争の仕方も武器も変わってきていることから、中世的な詳細は必要としないことは理解できる。その歴史的遺構を再生させるような行為にはどんな意味があるのか。それをつけることで完成度が高まるということを意味するのだろうか。

考えられるのは地域のアイデンティティーである。中世のような戦国時代、建物や城はそのような詳細を演出させることによってシンボル化する。さらにその利用方を示唆しているということが考えられる。
ではさらにそのようなシンボル化がなぜ必要なのか。
ガウディの日誌では装飾について
装飾に関心を持つには、詩的アイデアを想起させなければならない。
歴史的、伝説的、躍動的、象徴的、人間の生活における寓話、躍動と受難などである

という言葉もある。
ガウディの建築概念はこのような言葉にも関係するのだろうか。つまりまちに建てられるものは、このような演出をすることで価値を高めることを意味すると言える。

最近では歴史建造物やモニュメントの扱い方を知っているのだろうか?と思わされる。時にはそれらをテーマパークのように利用したり、または文化財として保修することで当時からの姿・形を留めるように努めている。日本では名古屋にある明治村はその代表で、保修をしながら当時の姿をとどめている。時間を経ることによる風化や腐食による退化で、少しづつその姿が衰退する。少しでもその姿を残そうとする努力により、歴史的証が語ってくれる視覚的な遺構が重要であることを信じているからである。

それは歴史を回顧させる最も理想的な手段であり、時代における生活も含めた確かな証として次世代につなげる義務のようなものを現代人は担っていると言える。しかしその課題を担うことを嫌がる人もいる。
人生というのは時代を超えて今に至り、これからも継続する。何年先まで存在するのかわかないが、少なくてもこれからまだ何世代も継続していくと私は信じている。
それによってどのようなあり方が相応しいのかと提案する義務もある。
実はこれも私が最近、話のテーマとしているコードのひとつになる。

つまり地域にはその場にあった歴史があり、その痕跡をなんらかの形で次世代につなげることが実は現代の課題となっているというと大袈裟だろうか。
     
田中裕也氏プロフィール
 
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