ポブラ・デ・リジェのアルティガスの庭
人々何千年もかけて成長し、現在の姿に至るまで何が変わったのだろうか。
時代とともに社会が変化するのは、人々の思考の変化に合わせて社会が変わってきたと言えるだろう。それに天災も含めての天変事変があって生活環境も時代とともに変化している。さらに社会紛争も加勢して人の動き、街の形体、環境もそれに応じて変化している。
文明という言葉が発生して以来、急激な変化を実感しているのは私だけだろうか。
これも「自然の摂理」という言葉が適応するのだろうか。
先日ピレーネ山脈の麓にポブラ・デ・リジェという谷間に栄えている街があるので尋ねてみた。
数十年前にそこにアルティガスという事業家の計画した庭があるということであった。しかもガウディも関わったのではということでその現場を見るために見学したのである。今回は偶然にルーマニアの生物女性学者カルメン博士が訪ねてきて誘われての訪問であった。
当時の20世紀初頭、グエルがセメント工場を建設する時に、その避難所を作る計画をしてガウディが現地を訪ねたという。その時、グエルの友人であったアルティガスの家に泊めてもらったガウディは、アルティガスの庭をデッサンしたという経緯になっている。
ポブラ・デ・リジェに到着し、はじめにアルティガスの庭を見学した。今では綺麗に整備され入場料を払う。
川沿いの庭は、まるでガウディがデザインしたかのようなディテールが見られるが、最近の修復ということもあって以前とは違っている。
一方の避難所のカジャルス(Catllars)は山間部にあり、トレッキングコースの休憩地点としては理想的な場所になっている。自動車や徒歩でここまでなら辿り着けるところである。
自分の故郷(稚内の裏山)で感じていた自然環境とは大きな相違がある。そこに生息する動物達と樹木、さらに景観も異なる。でもこれらの自然環境に入り込むといつものように感じる共通点がある。それは山に堆積したグランドである。フワッとした地面、それは時代を超えて堆積した腐葉土の弾力が足に伝わってくるのだ。そしてそこに生息する動物達とそのエネルギーというか匂いや音などがある。人々にはそれぞれに生命を維持するためのエネルギーがある。
それを各自どのように感じ取ってどのようにコントロールしているのだろうかということを時々考えさせられる。その時に生きていることを実感することができる。
ガウディは自然を参考書としてみている。建築を作るという作業に特化しての見方だけではないということも今更のように感じさせられる。
ガウディがこの地に立ち寄った時、私と同じようなことを感じたのだろうか。この地に立って心地よい良い空気を吸いながら周囲の樹木や山並みの景観を見て何を感じたのだろうか。
自然と向き合って、自然とともに生きる姿が、共存の姿勢であり人間以外の動物達はそのように生きているということも理解できる。それで自然の強さ、大きさ、優しさ、色や美しさ、しかも臭いにまで感動させられることさえある。
この中での人間のサイズというのは微塵のサイズさえもない。つまり地球サイズで見ても人間のサイズはミクロの世界、そこに生存しているということを認識するだけでもミラクルの世界に思えて仕方がない。 |