敷地から公共の歩道にはみ出す構造物
ガウディ・コードの検証の中で特に気になるのがカサ・バトリョである。
誰でも目にする一階の中央にある二本の柱。
それらの奥にはさらに柱がある。つまり奥の柱は既設の外壁に沿った柱である。そこから手前の歩道側がガウディによる突き出された柱ということになる。
敷地境界壁は通常であれば既設の柱部分であるので、その円柱の外面までとなる。そこから歩道側が公共用歩道となる。
つまり突き出された柱、及び礎盤さらに上部階のトリビューンは歩道側に1m以上は突き出ている。ガウディの計画による突き出た柱は、敷地からはみ出し歩道にはみ出ている。
不思議なことに当時このはみ出しに関する問題やエピソードに関しては、何一つ残っていないのだ。
ところが、その後に建設にされるカサ・ミラでは、同じように歩道に1m以上のはみ出しをしたトリビューンやテラスがあって、しかも柱が大胆にも歩道に1m以上ははみ出ている。そこで当時、役所の関係職員は、このカサ・ミラに立ち寄ってそのはみ出しの違法についての勧告をする。ところがガウディの対応は、「役所の言うようにその柱を撤去した場合、その跡に役所がその柱を撤去する指示をしたと記銘する」とその役人に通達したというのである。役所を相手に脅迫めいた姿勢のエピソードは有名な話となっている。その後は撤去されずそのまま残っている。
この通りの歩道幅は10mで、パセオ・デ・グラシア大通りの幅員は60mである。
これでもわかるように通常の拡張地区の道路幅員の3倍はある。
特にガウディが、このカサ・バトリョを計画する前には、隣のカサ・アマジェの建物が1898年から1900年にかけて建てられていた。しかもそこでも大きなトリビューンが取り付けられているのである。それに注目することでカサ・バトリョでもそれくらいのはみ出しは認可されてもおかしくはないという憶測が、ガウディにはあったのではないだろうか。しかもそれらに関わる資料もない。
大きな歩道というより遊歩道のような幅員を持つ道路におけるはみ出しは、歩行者にとっても雨や日射の強い日には便利である。その辺りでの建築基準よりもその実用性による緩和ということが考えられる。通常であれば公共道路へのバルコニーやトリビューンによるはみ出しは防災面からするとタブーである。
その昔はその辺りの考慮というのがまだ曖昧であったのだろうと思われるが、私が気になり面白いのはそのはみ出ている柱の様子である。よくよく見るとその柱の形というのはその柱礎部分が他の柱のその部分と全く異なるのである。
むしろ位相幾何学で作られているようで、しかも有機的である。そして三分割になっている。歴史的なオーダーにはこのような形の柱はどこにも見当たらない。そしてその柱の支柱の中間にはらせん状の斬り込みも見せている。
どんな意味があるのだろうかといまだに悩まされる部分である。ガウディの装飾概念からすると、どんな意味をもたせてこの切り込みを入れたのだろうということになる。
そしてさらに気になるのは、ガウディが、なぜ新築ではなく改築をオーナーに勧めたのだろうかということである。 |