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建築家トップ > バルセロナ便り > 第327回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る


ゴシック建築の最高峰を目指したサグラダ・ファミリア

20世紀の初頭はガウディの成熟期でもある。
グエル公園をはじめとしてコロニア・グエル教会、カサ・バトリョ、カサ・ミラ、 そしてゴシック建築のより高い完成度を求めたサグラダ・ファミリア教会計画。つまりゴシック建築の最高峰を目指していたのだ。ガウディによる建築の思考は全霊を尽くしての創作活動であった。その献身の姿は駆け引きの許されない真実の探求そのものであった。それは私が説明するまでもないはずだ。
創作の世界に身を投じた者達の姿は光そのものである。まるで芸術の世界における孤高の人というように比喩できる。
だから彼の言葉には創作における強い信念が見られる。
その創作過程を私は、身をもってトレースするかのように体験しきた。
ガウディ建築の実測・作図を続けて43年にしてようやく創作の本質を見ているような気になっている。もしかするとこれは幻なのかもしれない。

ガウディと私は100歳離れている。ガウディは今の私と同じ年齢ですでにサグラダ・ファミリア教会の鐘楼を築き始めていた。しかもより完璧なゴシック建築として、構造も含めた総合芸術のまとめとして進めていたのだと確信を持ち始めている。 
一方、私は同世代にしていまだに人生の波にもまれて船酔いするくらいに揺らされながら苦闘している。つまり未だにパッションが続いているということだ。
あげくに、新型コロナ・ウイルスに世の中が感染して世界が動揺している。これも現代のメディア戦争に匹敵するくらいの世界となっている。目に見えないほどの生物が世界を揺すっているのである。 しかも経済は大揺れである。国も政治も同様である。 庶民はまるで越し網にかけられたように揺すられ、その穴から落ちていくものや残れるものという宿命によってそれぞれの運命に従っている。
そんな中で私は自分に残された人生をどのように生き通せるのかを考えさせられる毎日である。まだ家族や兄弟に迷惑をかけている。その反省の中でどのようにしてこれまでの罪を払拭することができるのか。残された人生で最後の目標に到達させることに集中している。 

そしてこれまで作り上げた独自の資料である実測・デッサン、作図、写真、資料、書籍などをどのように保管すれば良いのかも解決できずに苦闘している。これまでの仕上げものがまるで手で掴み込んだ砂のように、指の隙間から抜け落ちていくような気もしている。
ある時は、私と一緒にバーナーに入れて灰にするという方法もあると思うこともある。 そうすれば時間とともに私のこれまでの人生は幻影として忘れさられることになる。 これまでは夢のような人生観が、次は幻の人生観へと変貌するということになるのだろうかとさえ思うこともある。
そしてこのエッセイをEnyaの歌をバックにしてパソコンのキーボードを打ち続けている。 まるで鬱の世界に入りかけているような気分でもある。
それでもアトリエに陳列している自分の手で描き上げたガウディ建築の作図を見ながら、まだやれることがあると自分の中にいるもう一人の自分が誘ってくれている。

ガウディはベルゴスとの会話で 「全てにおいて注目すべきである。全ては複雑でその奥には不思議な深さがあり自分を失う。
成り行きにまかすには、野生的(野獣のような気軽さ)で物事に精通し耐え忍ばなければならない。忍耐は全てを獲得し(サンタ・テレサ)、つらい不可避性において粘り強く、作り、繰り返し、つまり外部からではなく内面的力を応用すべきである。」

と言い残している。

ガウディも立場は違っても同じような大きな問題に耐えていたことを仄めかしているのだ。
     
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