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建築家トップ > バルセロナ便り > 第334回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る


同時期にイメージ?イエスの受難と死

グエル公園の南西端のカルバリオの丘に上がる。通常の旅行者による公園見学でここまで立ち寄るのは稀である。その階段の手前に何気なく4つの小さな岩がある。私はそのカルバリオの丘の実測で、当初この4つの小さな岩を重視せず、3つの十字架の置かれているカルバリオだけを実測していた。79年に初めて測り86年に2度目の実測をした。それでもその階段の手前にある4つの小さな岩には注目していなかった。
それから現在に至るまで時間が空いて2021年の12月に取材を受け、グエル公園での最初に実測した場所と最後に計った場所、そしてこれがガウディの民間建築で携わった最後の作品になる場所だということでそのカルバリオの丘に再度訪れた。そのときようやくこの何気ない4つの岩が無造作であるが意味をもたせている岩であることに気づき始めた。

まずその配置である。そして素材である。立たせている二つの岩は明らかに周囲の岩とは異なって見える。もう二つはその現場で露出している岩なのかどうかは再度検査する必要があるが平で置かれている。その二つも含めて4個の岩をどのように解釈するのかということを検証してみたくなった。
聖書の中に記しているイエスズの磔刑のシーンを見ると、そこには聖母マリア、マグダラのマリア、預言者ヨハネ、そしてもう一人。4天使またはマグダラの付き添いの人なのかもしれない。イエスズのヨセフ(Joseph)はキリストが12歳の頃に亡くなっているとされていることから、キリストの磔刑のシーンでは見ることがない。
何れにしてもそのようなキリストにとって最も身近な人たちだけがいたということになるが、それをガウディは岩に演出して何気なくカルバリオの側に設置したということになる。
それにしてもその丘の上にある3つの十字架であるが、ガウディが初めに描いたのは巨大な十字架であった。しかし実際の人間のサイズより若干大きめの十字架が本来使用されたと言われていたことから、ガウディは本来の十字架のサイズに置き換えてそのカルバリオに添えたのだろうということになる。
ここでも例え宗教の世界でもできる限り本来のあり方を希求してのことだろうと理解し始めた。これもまたガウディが提唱する原点回帰のメッセージによるものなのかと思い始めた。
ガウディはサグラダファミリア教会の製作中であった1911年にピレーネ山脈のプチェルダーにマルタ熱の療養に行った。その街のホテルヨーロッパで療養していたというのだ。その死にさらされた時にガウディは遺言書と一緒にサグラダファミリア教会受難の門のスケッチをしたとされ、そのスケッチが存在している。つまりグエル公園のこのカルバリオ製作と時期を共にすることから、ガウディはこの場所にイエスの受難と死の場面を同じようなシチュエーションで描いていたのだろうと読み取っている。

そしてこの場所から地中海の海を見ながら、この世の中に託せるメッセージとして建築、民族、芸術、神話、そして地中海という同一性の中で演出していたのだろうと思えるようになった。
     
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