サン・ジョルディのドラゴン退治を思いながら
建物を見ると見えてくるもの
ガウディは、旧家又は実家について“懐かしい家族、歴史的功績、民話、詩、劇、母なる大地の優しさを演出している”としているが、この文から家族への愛おしさと、建築を歴史的に演出することでさらに詩的で物語性のある作品になることを学生の時から希求していたことが解る。
ガウディさんによる創造的なドラゴンが登場するのは何に由来するのだろうか。
神話が社会の反映とするならば、作家によって社会との繋がりを作品に演出されていることが理解できる。しかもそこには物語もあるはずである。
ここで、民話が地域社会における子供達へのモラルを教育するために生まれたものであるということを、以前に専門家から説明を受けた事を想い出す。
それを元に世界各地でのドラゴンの扱い方を見ると、巨悪なドラゴンもあれば逆に人類救済の使者のよう表現もあったりする。
シンボリズムの辞書を紐解いてみると、ギリシャ神話では6つから100の頭をもったドラゴンの登場が可能とされている。
聖書でもホワン聖人の黙示録21章の中で、7つの頭をもったドラゴンが登場する。
さらにドラゴンとするとカタルニアの神話に出てくるサン・ジョルディのドラゴン退治を同時に思い浮かべることもできる。
この聖人は4世紀の頃パレスチナのリダ(Lydda)現在ではイスラエルのロド(lod)でお姫様を助けるためのドラゴン退治をし、303年にニコメディア(Nicomedia)で殉死とされている。以来1436年から祭日とされ、カタルニア地方では1667年にはクレメンテIX世(Clemente)(本名Giulio Rospiogliosi)(1600?1669)によって認められ、カタルニアの祭日となる。
現在では4月23日がその祭日として毎年女性は男性に本を、男性は女性に薔薇をプレゼントとする習慣となっている。
ここでカタルニアの神話を中心にしたサン・ジョルディによるドラゴン退治の物語に従って正面を眺める。すると立体十字架の部分が剣の柄として見立てることができる。さらに屋根は鱗状の瓦で仕上げてられていることからドラゴンの背中に似せているのだろうということにもなる。となると2階のトリビューンは、ドラゴンが勇者の剣で刺されて大きな口を開けてもがいているシーン、として演出されているというストーリーが成り立ってくる。
そこで立体十字架の部分を剣の柄として見ることで、剣のツバも時代によって異なることに気が付く。特にギリシャ−ローマ時代では、剣もツバも手持ちナイフを大きくしたような形である。ところが紀元前九世紀からは剣のツバが目立ってきて西暦9世紀には剣もツバも大きくなり12世紀には更に立体十字架の形に似てくる。
偶然にも、スペインで十字軍の遠征が盛んになるのは11世紀に入ってきてからで、カステーリャ地方ビバル(Vivar)生まれのエル・シド(1043-1099)が活躍するのもこの時代となる。
建築によっては歴史的な背景を元に、見事な演出がゴシック建築的な尖塔の装飾で表現されたりする。 |