植物学の研究が建築に反映され、
ガウディの作品で昇華される
ガウディの日記には“植物や植物学の研究に、今没頭している。装飾的な要素を多く持つ植物は、幾何学を簡単に受入れ、周囲をも装飾的に形成する。植物が成長する場所、特に最盛期には植物だけの表現ですまないときは、沢山の技術的方法がある。中でも新鮮で若々しく、青々した植物を画面に切り取って見せる固い処理を、平縁として付け加えたりすることができる。”と書かれている。がこれは私の翻訳によるものであることを記す。
植物というと細胞、繊維、葉、葉脈、花弁、樹幹、枝、樹冠などそれぞれ得意な形をしている。
それらの一部を建築に取り入れるとどのようになるのだろうか。
ロビン・フッド(Robin Hood)のように森に住み着いて樹幹や樹冠を利用した住空間を作ることもあるだろうが、樹幹だけ利用した製材による知的な空間とか、ガウディのように樹幹や枝の特性から構造概念を見出し建築の構造体としての利用、樹幹による棕櫚や樹冠の形態を利用してボールトの形にヒントを与えることもできる。
自然から読みとれるものはそれだけではない。
細胞の構成からタイル張りへ応用、繊維の特性を利用して強度性の問題を改善する方法で螺旋状に梁や柱の形に取り入れ、花弁の構成や形から幾何学的な形を装飾や空間構成として利用。そうかと思うと葉の光合成を利用してフォトボルタイカ、というように太陽光発のセルとしての応用科学的な展開など、樹木だけ取りあげてもかなりのバリエーションを見せてくれる。
自然界にあるのは、樹木だけではない、宇宙の四元素と言われる火、空気、水、土等がギリシャ時代から日常生活に建築として利用されている。
科学は、金魚鉢の中の魚のように未だに小さな範囲での展開しかないと言えるのかも知れない。
なぜこのような比喩になるかというと、水は宇宙、金魚鉢は限定された宇宙、そして金魚は自然界の進化という科学的経緯としての生物と言える。
別にガウディがそのような例えをしたわけではない。
社会の動きがまだその程度であると思えるからである。
そのささやかな文化、科学、芸術の中で建築は、少しでも多くの知識を吸収しながらバグのように時代と共に人為的に変化を見せる。
その中で、時代を超越するかのように数百年のゴシック建築への挑戦とも思えるガウディの行為は、サグラダ・ファミリア教会でやってのけようとした。しかしその前に、コロニア・グエル地下聖堂での経緯がなければ、我々が見るようなサグラダ・ファミリア教会の姿はあり得なかったのだと言うことも理解しなければならない。
作品のモチーフは一重に過去での経験が熟成して作られるものであり、決して気まぐれには生まれてこないと言うことは歴史経緯で見られる。
現在の姿が既に過去の経験による積み重ねの成果ということになる。
その貴重な歴史的モチーフの利用方法が、作者によって写実的であったり、抽象的であったり、さらに修辞的な解釈として空間論を産み出し建築に反映させようとする作家もいるということから、作品の作り方は多用であるということになる。
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