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実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

自然と対峙する器としての建築との決別

ガウディはフニクラーについて「フニクラーは包括的でなく線と面、又は上等な要素である。
さらにフニクラーは静的に意味を持つ建築の形を作り、単に矯正する方法又は任意の場所に利用して安定を確認するものである
」と云っている。
どのような手段で日常にカテナリー曲線又はフニクラー曲線に至ったのだろうか。
それに似たような建築手法が既にあったのだろうか。
いずれにしても伝統建築の中でカテナリー曲線はほとんど見かけることがない。

歴史上、イタリアのフィレンツエにあるサンタ・マリア・デ・フィオーレのドーム(1418年)は放物曲線状ドームだといわれているが、それ以外に同じような曲線は現われてこないのはどうしたことか。
偶然かそれとも作為的なのか。

エジプト時代のピラミッドから始まり、建築形態が各時代の文化技術を踏襲・駆使して、自然現象から人や財産を保護するように建築という「器」を作ってきた。その御陰で人々を自然の「気まぐれ」から保護し、安らかな生活を実現して来た。しかしそれらは自然と対峙するような形が普通であったという言い方は過ぎるだろうか。
人々はそのような形や空間に慣れてしまい、自然と比較した見方をする前に、「自分達が生活し易いかどうか」を確認するだけに納まってきたのではないだろうか。

さらに美の定義を「自然」の場においてするのか、それとも「人間社会」の場においてするのかという事で大きく二局に分かれるはずである。
美という言葉は、何を対象にしての単語か。
人によってその定義は違っている事は間違いない。
しかし自然界を対象にした美学があるのは確かである。

人間が手をかける前に既に「自然現象」または「自然の力」で作られた形がもっともバランスのとれた形という事は、全ての人達が周知しているはずである。それで「自然環境」という空間を作り上げている。そこにはエコシステムも含まれた生態系があり、動物達の弱肉強食も含めて生物のサイクルが維持されていることも確かである。
そこに自然科学、環境、生態系などに沿った美しさがある、又は「見る人達を感動させる」というのは私が説明するまでもないし、大自然の景色を見て感激するのは私だけではないからである。

その「かたち」の一部にもなっているカテナリー曲線を建築に使うとどうなるかということである。
その課題に真剣に取り組んだのがガウディであり、それが彼の作品を不動の存在にさせたと言いえる。
人間が現われて、自然界に急速な環境変化をもたらしてきたのは事実である。
少なくとも地域の環境破壊をしてきたのも、人間の発明と社会のエゴで現在に至っていると思っているのは私だけではないだろう。

どんなに検証や計算をしても計り知れない、無限の作用があるのも大自然の動きである。
その社会環境に問いかけて解決を求めたガウディは、自ら自然と対峙しその自然の法則にできるだけ沿うように建築計画していたのだろう。彼自身の生き様も自然の流れに沿っている。彼の前に傲慢な人が現われると雷でも落ちるかのごとく大変な勢いで攻めまくるというエピソードさえあるくらいである。
それはできるだけ自然に生きようとする実直さによる一面ではないだろうか。

そんな性格の建築家が計画したこのコロニア・グエル教会地下聖堂で、彼の望んでいた事は、自然に溶け込むように居住空間を作る事ができるということを詳細や構造で演出させている様に見える。

   
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