日本のお城の建築にもカテナリー曲線が
その後、メキシコ人建築家・工学博士マルコの授業では、このモニュメントの特徴を講演ごとに説明しているということを、彼から直接聞かされた。そのスライドも頂いた。
では、ガウディはその放物曲線またはカテナリー曲線について、どこでそのヒントをえることになったのだろうか。彼の生活環境からの推測はできるだろうか。
大学生時代に図書館で勉強してという見方もあるようだが、それでは経験としての信頼性にかける。
ガウディの言葉に「経験」という事が随分と出てくる。理論よりも経験が重要であるという意味では実証的であり、その延長上にガウディの作品が成り立っているという事を考慮しなければならないはずである。
とすれば、そこでもっとも身近なところで、父の鋳掛け業にヒントがあるのかもしれないと考えた。鍋釜というのは曲面体になっている。しかも平板から立体が出来上がっていく過程に音も共なって変化する。
つまりガウディは音と形、空間という三つの要素を鍋から経験的に、少年時代の経験から自然に培っていたのではないかと思っている。
鍋や釜は実用性が高い。それらの形によるシミュレーションが建築に大きな影響を与えたという見方は、今までだれからも言及されていない。
「アイデアはまさに経験より在りき」である。
さらにその周囲の生活環境にもあるのだろう。
「鳥は羽で空を飛ぶと言うが、鶏は羽があるのにも関わらず空を飛べない」と言って先生を困らせたなど、ガウディが若い頃から動物達の観察で面白い考察をしていることは知られている。
兄の生物学の課題では「蜜蜂」の考察レポートを作成するのに、ガウディが準備したと言う。それは不自然な事ではない。というのも彼の建築作品の一つ、マタロ組合プロジェクトに蜜蜂のモチーフが随所に現われるからである。その特性を熟知しているからこそ、彼の建築モチーフにも利用したのではないかというのが私見である。
ところで、建築にカテナリー曲線を利用できるようにするには、あるステップが必要になる。それが構造実験である。その実験なくしてガウディの建築はあり得ない。その人為的な構造体が本当に居住空間として利用できるのかという裏付を、ガウディは求めていたのである。通常、新たな形や素材の利用の為にその構造実験が必要なことは当然のことであり、伝統的な行為である。
模型が作られて家を作っていたのはその証である。
建築と彫刻の違いは、そこに居住性があり、安全に生活が営めるかどうかという社会的な条件も必要とされる。
話は更にずれてしまうが、日本の建築もお城の土塁が放物曲線状になっている事に気がつく。実はこれも同じようにその昔、当時の工事人達が土塁を築く場所の上から紐を垂らして土塁の裾の端までの形を描き出し、その線に沿って左官や石工が土塁を積み上げてきたと言う。
その意味では自然現象を建築技術として取り入れた手法である。
これは他の国でも同じように経験主義的な手法で建築が作られたという例である。
この経験主義的な作業が、ガウディにとってもっとも主張する建築姿勢であり、そのように一生を貫く。その裏付けとなる証言がガウディとベルゴスの会話に見られる。
ガウディは「経験」と「繰り返し」を十八番として創作を進めていたのである。
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