全てが白い壁で庭が見える6人部屋であった。窓から見える景色は山の中の療養所で周囲は森に囲まれ、傍には小川も流れていた。
最初の一ヶ月は、激痛を取り除く治療として投薬と安静に専念した。毎日主治医永井先生がベッドにまで診察に来てくれるし、時間毎に若いインターンの看護師が体温計をもって計りに来てくれる。食事も規則正しく三食昼寝付きでまるで天国に居るような気分にさえしてくれた。2ヶ月後にはすでに痛みもほとんどとれ、レントゲンを撮っても影がなく退院できると診断を受けた。しかし、用心の為にもう一ヶ月様子を見てくれるように頼んで、合計三ヶ月入院したことになる。
最後の一ヶ月は医師からの診断が正しいかどうか自分なりに確かめたいと思い、朝5時頃から起きて療養所の付近のグランドでジョギングと軽い体操をすることにした。勿論医者には内緒であった。この一ヶ月の自己診断でも自信をつけたので、予定通りに退院する日を迎えた。その日は天気雨であった。
まず早朝に同室の皆さんや看護師さん、そして主治医永井先生に別れの挨拶をした。それまで毎日の山道の散歩で見つけた細い竹を利用して、ささやかな気持ちとしてナイフで竹ペンを削りだし、お世話になった病棟の仲間達全員にプレゼントして別れを告げた。
またあのスペイン行きのリックを背負って、晴れ晴れと天気雨の中、非常に爽やかな気分になって最寄りのバス停迄の坂道を歩き始めた。しかし、入院当初から比べ、退院時は2キロ体重が増えていて、ジーパンも少々胴の部分がきつくなっていたのを覚えている。
「天国での生活は太るもの」と思いながら、下界に下るような気分でバスに乗り、一路実家稚内に向かう途中、札幌の次男の敏兄の家に泊めてもらった。
実家に戻ってからはまたスペイン国費留学の応募に申請して、翌年の面接準備を始めた。
実家のそば屋「天北庵」に居る間は店の手伝いをしながら徐々に体調を整え、翌年の面接数ヶ月前には東京に出て、青梅市の大工の棟梁の下で現場管理のバイトをすることができた。
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