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  建築家トップ > バルセロナ便り > 第3回
実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

過ぎたるは及ばざるがごとし  無我夢中の結果、1年の足踏みを余儀なくされる

ガウディは、“科学は分析であり知恵はまとめである、よって知恵は科学を超越する”とベルゴスとの会話で唱っている。
 
その知恵を養うための挑戦はバルセロナで始まる。
初めに語学の問題を解決するために、さっそく語学学校に行く手続きを終え、通い始めてからは他の日本人達とも知り合い、下宿先の情報まで得ることができた。
これで本格的な実用スペイン語の習得と、実測作業が平行して進むこととなった。しかも宿から下宿に替えてからは地元のスペイン人と毎日会話する機会も得られるようになった。

毎日朝食の後、朝9時頃から実測に出かけた。午前中は実測作業、昼飯を食べた後は語学学校での勉強、夕食後は実測の整理と語学学校の復習・予習となり、床につく時刻は夜中の3時〜4時が常となった。この最初の一年半は藁をも掴む想いで無我夢中でこの時間割を続けていた。

 
奨学生応募を目指して一時帰国、ところが
 
2003年10月、ペルーでガウディの展示会と講演会に招聘されたアンデス山脈上を空より撮影
2003年10月、ペルーでガウディの展示会と講演会に招聘されたアンデス山脈上を空より撮影
経済的問題は一向に解決しようがないので、ここで日本に一時帰国してスペイン政府の奨学金に応募する事にした。
書類を提出して面接の日まで、東京に居た長男の八代兄の家にお世話になって面接の日が来るのを待った。ところが面接日前日、突然予期しなかった事が起きた。
朝起きてみると深呼吸できないほど脇腹後部に激痛を覚えた。あわてて救急で最寄りの病院に行った。診断は肋膜炎であった。
肋膜に水が溜まって肺に癒着し、深呼吸すると激痛を引き起こす。早速その場で、馬の注射に使うような大きな注射器で背中の肋膜に当たる部分にグサリとステンレスの針を差し込まれ、人ごとのように注射器はその癒着部分の水を吸いとってくれて痛みも少しは和らいだ。医師はさっそく診断書を書いてくれた。同日に入院と隔離を医師から申し渡された私は、スペインに出かけるための荷物のリックを背にしょって、入院先の北海道真駒内南病院療養所に隔離された。
これによってスペイン大使館に行くこともできなくなり、この年のスペイン行きは夢となってしまった。
肋膜炎は、結核菌のいたずらで引き起こされる病気で、特に疲労と極度の寝不足から患うことが多いと言われた。それで思い当たるのはスペインでの無茶苦茶な生活のたたりと思い、この病気が“命の洗濯”となるとして心を入れ替えて病室におとなしく入ることにした。
 
天国の生活 三ヶ月の末
 
全てが白い壁で庭が見える6人部屋であった。窓から見える景色は山の中の療養所で周囲は森に囲まれ、傍には小川も流れていた。
最初の一ヶ月は、激痛を取り除く治療として投薬と安静に専念した。毎日主治医永井先生がベッドにまで診察に来てくれるし、時間毎に若いインターンの看護師が体温計をもって計りに来てくれる。食事も規則正しく三食昼寝付きでまるで天国に居るような気分にさえしてくれた。2ヶ月後にはすでに痛みもほとんどとれ、レントゲンを撮っても影がなく退院できると診断を受けた。しかし、用心の為にもう一ヶ月様子を見てくれるように頼んで、合計三ヶ月入院したことになる。
最後の一ヶ月は医師からの診断が正しいかどうか自分なりに確かめたいと思い、朝5時頃から起きて療養所の付近のグランドでジョギングと軽い体操をすることにした。勿論医者には内緒であった。この一ヶ月の自己診断でも自信をつけたので、予定通りに退院する日を迎えた。その日は天気雨であった。
まず早朝に同室の皆さんや看護師さん、そして主治医永井先生に別れの挨拶をした。それまで毎日の山道の散歩で見つけた細い竹を利用して、ささやかな気持ちとしてナイフで竹ペンを削りだし、お世話になった病棟の仲間達全員にプレゼントして別れを告げた。

またあのスペイン行きのリックを背負って、晴れ晴れと天気雨の中、非常に爽やかな気分になって最寄りのバス停迄の坂道を歩き始めた。しかし、入院当初から比べ、退院時は2キロ体重が増えていて、ジーパンも少々胴の部分がきつくなっていたのを覚えている。

「天国での生活は太るもの」と思いながら、下界に下るような気分でバスに乗り、一路実家稚内に向かう途中、札幌の次男の敏兄の家に泊めてもらった。
実家に戻ってからはまたスペイン国費留学の応募に申請して、翌年の面接準備を始めた。
実家のそば屋「天北庵」に居る間は店の手伝いをしながら徐々に体調を整え、翌年の面接数ヶ月前には東京に出て、青梅市の大工の棟梁の下で現場管理のバイトをすることができた。

 
 
 
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