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実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

軽い改修工事を経て4月に再オープン

ガウディの性格をあらわしているベルゴスとの会話がある。
1910年に彼のパトロンであるグエル氏の勧めで、パリでのガウディ展示会に本人が出席することをグエルの息子クラウディオを通して勧められた。がガウディはその申し出をことわる。
そのときの感想をベルゴスに語っている。
私はパリには行きたくなかった。なぜなら我々は理解できなかったし、もしイギリス人達がセルタ人であれば、かれらはスカンジナビアの人々で、もっと遠い人である。その人々は平面的であり、空間的ではない。彼等は地中海の人間ではない。芸術の源はいつも地中海である。対して彼等は北欧人であり平面から動かない。それでパリに行かないと言う事でここに居る」といってパリ行きをことわってしまう。

そのセルタ人の住んでいた北スペインの地域のなかでも、カンタブリア地方は牧草地の空気を漂わせている。かの地方は酪農が盛んなのだ。
サンタンデールの空港を降りるとき、緑色の大地が目に入ってくる。
空港から西側にある、アルタ・ミラのあるサンティジャナールへ向かう。途中の景色は、ピコ・デ・エウロパを背景にして牧草のような草原も広がる。アルタ・ミラは現在、保存管理のためにオリジナル見学が特別な手続きをしないかぎりは見られず、そのコピーが一般公開となっている。
遺跡というのはコピーを見るより本物のほうがありがたいものだ。

そのサンティジャナールの町からさらに西隣の町がコミージャスといい、ガウディ初期の作品エル・カプリチョがある。
この町は19世紀のスペイン国王アルフォンソ12世の避暑地でもあった。
その町を発展させたのがコミージャス侯爵アントニオ・ロペス・ロペスで、彼が国王達を招いてからの避暑地となっている。
その町の南側の丘中腹にソブレジャーノがある。そこにコミージャス侯爵邸があり、その隣、現在でこそレストランとしてビジターのアクセスがしやすくなっている建物、これがエル・カプリチョである。

途中2度の大きな改修工事で一部に手が加えられているものの、いまだに全体の風格と優雅さは見応えがある。

私は現在の日本人所有者の依頼で、全体のイメージと顧問管理をしている。2009年2月10日から2月13日にかけてエル・カプリチョを尋ね、建物は冬休みの休業期間を利用して一部軽い改修工事をすることになった。
2009年4月1日のオープニングを目標としている。
今後のエル・カプリチョのあり方やイメージ・チェンジをはかるために、オーナーや従業員たちとの話し合いもしている。

現在、この作品へのアクセスは3カ所ある。
一つはコミージャス邸から礼拝堂の前を横切って鉄格子の門から、もう一つはマルケス・デ・コミージャス沿いの門、そしてソブレジャーノの入口からの三カ所となっている。

そのうちソブレジャー地区のフエンデレアール通りが通常のアクセスであり、エル・カプリチョの駐車場を通り抜けてエル・カプリチョ東面からのアクセスとなっている。

   
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