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実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

グエルが考えた田園都市計画

ガウディは、創作と製作について
物の実現は法則に従うことであり、創作の法則である。体験は創作の裏付けである。 創作は、創作者による新たな作品である。そのために自然の法則を求める人達は、創作者に協力をする。よってものをつくるには、創作の法則(これなくしては成り立たない)に従うことであり、そのためには創作の経験が不可欠である」。
と説明している。
ものを作るときに必要なのは目的、規模、サイズ、形、色、材料、方法とまでは誰でも理解できる。 ガウディの場合はさらに歴史、民族、神話、民話、アイデンティティー、と追加される。
そしてこれらの全てに関わる要素が、「自然との関わり方」となる。
これらをガウディのミキサーにかけて「美味しいジュ?ス」となるまで練られて、彫塑による検討がはじまる。

グエル公園は、街にとって肺のようなところ。健康かつコミュニケーションの場としても維持されなければならない。この土地を入手した頃のグエルの先見は鋭いものがあった。 年に一度の海外旅行をして見聞を拡げる中で、イギリス旅行も何度かしていた。 その経験を生かしてか公園計画が始まり、その敷地境界壁には、パーク・グエル(Park Guell)という名前で破砕タイルによる英語の看板がつけられている。スペイン語だとパルケ・グエル(Parque Guell)となる。 ガウディの趣味からすれば、カタラン語で入れたかったのかもしれない。しかしその辺りはオーナーの希望に合わせて黙認したのだろう。それにしてもなぜ英語の看板を境界壁につけたのだろうか気になるところである。グエルは当時イギリスでの田園都市計画の動きには気がついていたというが。
イギリスの美術家ウイリアム・モリス(1834-1896)は、1874年に田園都市計画を唱えた。美術評論家ジョンラ・スキン(1819-1900)は産業革命以後の反動に批判を加え、都市や住宅環境のあり方を唱えていたことで知れている。

グエルは、イギリスの社会動向を知る上で、労働者と職場の改善を考えてコロニア・グエル計画をすすめることになるが、その流れからバルセロナ市内にイギリス農家の再生のような計画をこのグエル公園に委ねたとしている。しかしそれだけで英語の看板がかけられるものだろうか。ましてやカタルニア思想が歴史上の弾圧から芽生えていた時期でもある。一方で2000年に玄孫のカルメン・グエルが執筆した「グエルとガウディ」の中で、グエル公園はグエルの幼い頃の母親とのイタリア旅行のときの想い出の場の再現という見方をしている。
いずれにしろその頃、バルセロナは都市計画家イルデフォンソ・セルダによる地域拡張計画が始まっていたさなかである。
グエルは、その当時の社会動向を見据えて都市における住宅のあり方をグエル公園計画に提案しようとした事だけは確かだ。現実には、土地付きでランドスケープは完璧といえるが、仕事への通勤と不便としか言いようがない場所をどんなタイプの人達が購入するのだろうか。当時の交通事情を考慮してこのグエル公園で生活ができる人達は、どのくらい居るのだろうかと言う市場調査にかけていたのではないだろうかとさえ思わせる。
今でも同じような状況は続いているわけだから当時はもった大変だったにちがいない。

そんな場所にどのクラスの家族がこの分譲住宅を購入しようとしていたのかという問題がある。
     
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