見る者の自由な発想にゆだねる
グエル公園が世界遺産となり、ビジターが溢れるようになったのは1994年のことである。私が実測をはじめた35年前は、まだ世界的に知られていなかった為にのんびりと実測ができた時代で、ビジターもまばらであった。ところが世界的価値をつけられたことで人の動きがこうも違うものかと驚かされる。
当初の田園都市分譲住宅地計画から公園に変更されたことで、ビジターは自由自在に敷地内を散歩できるようになっている。 もし個人の田園都市分譲住宅地として完成していたならば、当時グエルは入場料を徴収したこともあることから、ビジターの出入りは制限されていたことだろう。それによってデリケートな仕上げタイルも、ある程度メンテもよかったに違いない。
ところが公園として計画変更する事で、1922年にはバルセロナの公園となり現在に至る。それによって多くのビジターが訪れる事できるようになった。最近では、中央階段は歩くスペースがないくらいに、人で埋め尽くされる事さえある。
ギリシャ神話に登場する地下水を守る神として知られているが、カラフルで可愛らしいドラゴン「ピトーン」のまわりでの記念写真を撮るビジターも後を絶たない。触る者や馬乗りする人までいるくらいで、時には警備員に注意されるほどである。いずれにしても夢を与えてくれるアイドルになっている。
そのドラゴンをもう少し分析してみる。ガウディは、デザインする時には身の回りにあるものによって創作を進める。その意味では、架空のドラゴンも同じように何かをお手本としてデザインしているはずである。そこで爬虫類の仲間達を調べてみる。するとトカゲ類は基本的に爪が鋭い。ところがヤモリだと指先は吸盤が着いている為か指先は丸く広くなっている。
ガウディによるピトーンは、そのヤモリ科(gekkounidae)とイグアナ(iguanidae)を掛け合わせて2で割ったくらい可愛らしい表現となっている。大きなウエーブの背びれと目の辺り、そして配色は爬虫類の中でも有毒の種類かなと思わせるような鮮やかな色合いで演出されている。
それにしてもその愛嬌のある表現はどこからくるのか。
このドラゴンの手前におかれているのは背もたれが円形になったベンチ。その後ろには蛇のような頭になった噴水である。
人はそれを「青銅の蛇」(ルシターン)としているが、その蛇には耳のようなものがついている。これも架空の動物の頭としてみるのか、それとも旧約聖書に登場するモーゼの杖が蛇に化けて毒を吐くのか、それとも青銅の蛇を見ることで病を治す蛇なのかは見る側の自由な発想となる。
もし「聖書から」とすれば、この公園ではギリシャ神話や聖書の話が合成された演出の公園という事になる。しかも生物の世界でもイマジネーションを燻る世界が広がる。ライオン、蛇、トカゲ、ツクシ、棕櫚(シュロ)、人間などが、爬虫類、哺乳類、植物という三種類の生物で表現されている事になる。
つまり禿げ山(モンターニャ・ペラーダ)に化石化された動・植物が構築物として演出されていることになる。
田園都市計画の中に楽しい有機的なオブジェとして、しかも構築物の機能として演出効果を高めている事がわかる。
通常であれば無機質で機械的な素材を利用した構築物となりがちなところを、ガウディは作為的に資源のモチーフを利用しながら、しかもそれらを化石化にするという行為を発想したのではないだろうか。 |