無限に開かれる幾何学の父−放物曲線 放物曲線の幾何学的な描き方については幾つか方法がある。中でも代表的な作り方は、三角形の二辺に交差する直線が移動することでその形が描かれる。
自然物理では物体の落下運動の軌跡によって描かれる線も放物曲線状となる。
もう一つは、日常よく目にする鎖や紐の両端を持ってを吊り下げた線も同じ放物曲線状になる。この放物曲線状の形の線が質量を持ったときに“カテナリー”という。この線は等分布荷重という一律同じ重さが線状に並んだときに生じる線形であって、関数が含まれる曲線であるとされていることは故松倉保夫物理学博士による“ガウディニズモ”の本でも同じようなことを説明している。
ガウディの手記の中に“幾何学から生まれる形は非常に卓越性があり明確である。形がより完璧であれば装飾はいらない。彫像による演出は必然的なディテ−ルの為の浮き彫りであって装飾ではない。”とある。
ガウディの作品は、大胆な装飾的建築に見られがちである。ところがその裏には建築機能の面からもオーナーのアイデンティティーが脈付いている。
中でもその建築機能に重要な意味を持つカテナリー曲線は、形態的に放物曲線に類似した形とされていることから、作図としては、この幾何学上の無機質な放物曲線の作図で描いてもそれほどの違いはない。
日本の古建築においても当時の大工や土工がお城の土塁部分においてカテナリーの手法を利用していることは知られている。例えば軒先において、宮大工が墨壺の糸で幾何学的作図法によって軒先の反りを描いていたことから、日本建築の中にも放物曲線が利用されているのである。
つまり今までは単なる直線美として見られていた日本建築にも、技術的解決としてこの放物曲線が含まれ、さらに優美な日本建築を演出していることになる。
機能からくる優美さは“機能美”と言われ装飾概念ではない。
彫刻やレリーフも建築的演出機能を持つと、単なる装飾ではないということになる。
また形を描く線についてガウディは“曲線(閉鎖)は限界を意味し直線は無限を意味している”といっている。
しかしその曲線が放物曲線であればこれも無限に開かれる曲線と言えるだろう。
形として直線は、むしろ人間社会が造りあげた人工的な線であり、曲線は自然がもたらした線であるとすると理解しやすい。
ガウディは“放物曲線は幾何学の父”として彼の建築作品の至る所にその曲線を覗かせている。
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