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実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

ガウディにとっての「死の背景」と家族の死

ガウディには、八歳年上の姉ロサと一才年上の兄フランシスコ・ガウディがいた。姉はミュージシャン,ジョセップ・エヘアと結婚し、ロシータを残して35歳で亡くなる。

兄はガウディと共に大学生時代にバルセロナで同居していた。兄弟仲は知られていないが、ガウディの兄が薬学を勉強していた。1870年、ガウディは読者センターセミナー誌No6から兄の名前で「ハチ」のレポートを作成する。兄思いの面が見えるが、どうして兄の代わりにこの動物の生態をレポートする必要があったのかがわからない。
彼の生物への観察力から得られた情報は、後の作品の演出にも表現されることになる。ガウディの兄は、薬学部を卒業して職業につく前に1876年に亡くなる。母親も同年9月8日に亡くなってしまう。
ガウディにとっては大変なショックであったにちがいない。一方で、同年に皮肉にも建築学部の課題で病院設計課題があった。家族が病気で亡くなっている時期と重なり、ガウディにとっては病院計画などする心境ではないはずである。それも卒業を遅らせた理由になっているのだろう。
実はその病院計画の前の1875年には、墓地の門の計画があった。
この計画ではエピソードが残っている。
当時の教授にアウグスト・フォンがいた。ガウディは6月に葬儀車と悲しみの人々の下りてくる四輪馬車のデザインを描き始めた。
教授フォンはガウディに「墓地の門はどこかね」と尋ねると、「はじめに適切な背景を作りたかった」と答えた。
実際には、ラフォルスが発表した写真によって知られている尊大な門を描き、そこでは黙示録による芸術的演出になっているのである。
ガウディ研究家で建築家セサール・マルトレールによって1967年にカステリャーノ語で執筆されたガウディ「人生、理論、作品」という本がある。その124ペ—ジでガウディの死について記している。次の125ページには、画家J・レナルト(1879—1961)による亡き姿のガウディの描画が載せられている。首から十字架を下げられた姿で、額が広く後頭部の頭髪と口ひげとあご髭が繋がって、適度に整髪され眠った姿になっている。

ガウディは電車事故に遭う前に、いつものようにサグラダ・ファミリア教会で作業していた。その日1926年6月7日月曜日は、サグラダ・ファミリア教会の地下聖堂の為のアラバスター(雪花石膏)と鉄細工によるランプのデザインをしていた。午後5時頃、バルセロナ大聖堂の傍にあるサン・フェリーペ・ネリの教会でのいつものミサの為にその作業を止め、職人に「ビセンテ、明日は早く出て来てください。美しいことをしよう」という言葉を残して出かけたという。これがガウディ最後の言葉という事になる。

事故があったのは午後6時から7時の間のことであったという。その事故の経緯を次のようにマルティネールは説明している。

「ガウディは、サグラダ・ファミリア教会からパセオ・デ・サン・ホワン通りを横切ってテトワン広場の西側歩道を通り、バイレン通りを横切ろうとした。
     
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