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  建築家トップ > バルセロナ便り > 第182回
実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

未完となった宗教建築の2つの理想

当時のトランビアは、ラス・コルツ・カタラナ通りの海側よりに、小さな分離帯を境に上り下りの二車線が並んで通っていた。ガウディはバイレン通りを横切り、ラス・コルツ・カタラナ(現在のグランビア通り)の線路で、パセオ・デ・グラシア行き登りのトランビアの後ろを横切ろうとした。その時、後ろ側に来ていた下りの30番のトランビアに轢かれる。それによって脳震盪をおこし、右の肋骨三本が折れて病院でギブスをつけられることになる。
歩行者の話しだと、建築家の不注意によるところだとしているが、ガウディからは下りのトランビアが登りのトランビアに隠れて見えず、小さな中央分離帯を横切ろうとしたところで轢かれることになる。
つまりトランビアのフロントではねられたことになるが、むしろトランビアの側面に触れて倒れるという一瞬のできごとであったことが洞察できる。
当時のトランビアの時速は20〜30キロメートルであり、轢かれて下敷きになるというよりも、胴体にあたって跳ね返って転んだということなのだろうか。
記事による事故現場の様子が判定しにくいのは、ガウディがいつもの慣れたコースを横切るわけだから、電車がくる事くらいは十分に理解しているはずである。しかもそのトランビアの進行方向など、彼自身の勘違いとは別の問題があったようにも思える。
これも謎を秘めた事故となる。

当時の建築家の協力者達スグラーニェスやキンターナはその事故の知らせで動転していたはずである。
事故から2日目に危篤から目を覚ますが、彼の視線は冷静ではあったが、誰とも話そうとはしかなったという。ただ「なんてことだ」とため息をついていたという。
彼が苦悶の状態で亡くなる3日目にはサンタ・クルス病院の主治医室に祭壇が設けられた。
4日目にサグラダ・ファミリア教会の協力者で彫刻家であったホワン・マタマラによってガウディのデスマスクがとられた。病院の司祭であったエドワルド・ロージョ神父、少年時代に師匠のお供をしていた青年医師アルフォンソ・トリアス、建築家ラフォルス、プーチ・ボアダ、トゥルーニョ、ペライヨ、セサール・マルティネス等の手伝いによって実施されたと、セサール・マルティネールは自ら説明している。

彼の人生は宗教建築に捧げる為の人生であったのだろうか。
そのあたりが腑に落ちない部分なのだ。
例えばガウディが亡くなる12年前にはコロニア・グエル教会地下聖堂が未完のままになっていた。構造概念や素材の扱い方がそれまでのガウディの作品にはなかった手法であったことから未完にしておくにはもったいない建物であった。
当時ガウディは何を思ってこの教会を発想したのか。その構造実験のために10年の歳月を費やしたのか。
信仰が深かったというだけでは理解できない部分というのもある。

まずは従来の宗教建築の素材や様式から脱皮しようとしていることは一目瞭然で、むしろ本来の建築美学に裏打ちされた宗教建築としてのあり方の見本を作ろうとしていたような気もする。
     
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