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建築家トップ > バルセロナ便り > 第198回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

買い物する場所の必然性

商店建築といえばガウディはキオスコ(quiosco / kiosco 新聞スタンドや雑貨の売店など仮設の建造物)もデザインしている。これは実施になっていないが図面がのこっている。鍛鉄と大理石によるトイレ付きのキオスコでランブラス通りを見事に飾っていたかもしれない。
さて、最近バルセロナでも目立ってきているショッピング・モールをどうみるか。つまり「モール現象」である。
アクセスを車とした大型のショッピング・モールである。駐車場も無料である。従来であれば商店が散在して場合によってはアクセスも不便であった。ところが現在の合理化された社会においてはメンテ、サービス、集中型の廉売の大型判が至る所に流行ってきている。
さらに娯楽施設もありレストランもある。しかもスーパーマーケットにセキュリティーまであるからコンパクトシティーのさらに縮小版で、ここにやってくる消費者は一日中、買い物して遊んでいられる。
では欠点はないのか。まず設置されている所がどうしても車が必要な場所であったりする。となると隣近所に住んでいる人なら別だがそれ以外の人は車に頼るという不便さがある。車利用も良いがガソリンと車のメンテも必要となる。必要な物は住んでいる隣近所のテナントで十分に要は足りてしまうということになる。とすればこのモール現象はどうしたことか。一時の好奇心を満たしてくれるだろうが人々も成長する。その辺りの事を考えるとこのモール現象も一過性の現象となるのだろうか。過ぎた合理性と利益を計算し過ぎたモールの寿命は短いのかもしれないということになる。つまりテーマ・パークに似ているのである。やはりこれもアメリカ商法かな。庶民が一日中利用できるというコンセプトを売りにしているお店や休憩場など、バルも含めて内蔵されているからまさに消費者用のテーマ・パークである。これだけ経済危機で冷えきっている世の中で、毎日そのモールで過ごすわけにもいかないというのが本音だろう。集まる人達は家庭の主婦と子供が中心である。
そこで従来の商店街はどうあるべきなのだろうか。物事というのは何でも過ぎるとろくな事はない。特に金銭が絡むと余計な責任問題と社会関係や人間関係が複雑になる。
私のように単純な人間にとっては、生活に関わる事は、地域にあったサイズの商店街で良いとさえ思っている。ところがモールによる合理化は、経営者にとっては一見すばらしいアイディアではあるがケース・バイ・ケースであるということも理解すると良いだろう。
そこでどこの地方都市でもこのモールが当てはまるかというと、そうとも言い切れない。
人口と住民達のアクセスを考慮しなくてはならないからである。

生活に欠かす事ができないのは食料、医療、衣類、日用雑貨が中心である。それ以外は予備品つまり贅沢品として経済的に余裕が無い限り限度がある。それらを一緒にしてしまうと人口の少ない地方としてはモールを開店しないうちから先が見えてしまう。バルセロナにも古くからある建物の内部を改造してショッピング・モールを作りはじめた。中でも動物保護運動の影響もあって闘牛の人気がなくなり、その会場である闘牛場の再利用としてショッピング・モールに利用している例が出来上がった。
     
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