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建築家トップ > バルセロナ便り > 第205回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

青年は都会を目指す

人は幼い頃からの環境に左右されるものだ。しかしそれに縛られるのではなくその慣習的な環境から外部への好奇心によって、そこから自ら抜けようとする勇気をどこかで見つける事も必要になる。
少年ガウディの生活環境と行動範囲は、持病もあった事から制限されていたはずである。その自然環境との対峙でガウディの葛藤はより純朴な世界へと生活環境を望むようになっていた。それが彼の理想郷であり実家や故郷への希求としていたのだろう。
ガウディは生涯、真の美しさを自然の中で求め、そこから読み取れる摂理が彼の建築への生活基盤となることを示唆していた。彼の言葉の随所にみられるガウディの実家は、タラゴナ州バイシ・カンプ地方の田舎リウドムス町、しかも生誕地は畑と川の傍である。その隣街には、地方の首都レウスがある。ガウディはその2カ所で生活を営むことになるわけだから、彼にとってリウドムスは、田園風景の中における理想の街であったにちがいない。ところが少年期に育ったレウスは、活気こそあっただろうが混沌とした社会を目の当たりにしていたはずである、彼の実家はレウスの中心地にもあったことから、当時の様子が周辺の環境で想像ができる。
だから彼の日記で伺われる田園風景は心象風景を示唆しているが、むしろ実際の生家があるリウドムスをイメージしての描写であることが想起できる。
一方、レウスでのガウディは、彼が幼稚園から中学校まで育ったところ。
少年ガウディにとっては、徐々に社会の渦に引き込まれる場となる。彼のレウスの実家はプリム広場の傍にあるアマルグーラ通りであった。地理的条件からすれば街の中心地に住んでいたことから当時の社会状況がいち早く感じ取れたことも疑うものではない。しかも学生時代にガウディが見ていた繁華街は、今以上に活気があったはずだ。繊維や農産業の中心地でもあったことから当時のレウスの商店建築は、ブルジョワ達による芸術性の高い建築も見られたし現在も存続している。フランス文化革命によってヨーロッパの国々の産業は加速化されていた。スペインでもマドリッド、バルセロナ、バレンシア、タラゴナ、そしてレウスでも同じであった。

社会と対応しながら経済の波は容赦なく訪れる。
街の変化というのは時代を超えて経済の波を受けるので一定しているとは思えない。しかしそれにも耐えて現在にまで存続している街である。
ところが文明の力も発達してきているにも関わらず、商店街や町内も現在ではどことなく活気が遠のき、まるで過疎化しているようにも伺える。
今では地方都市においては歯抜けになっている街角を見かける事さえある。やはりこれも過疎化だろう。この辺りの主要都市と言えばタラゴナかやはりバルセロナということになる。
ガウディも建築家を目指してバルセロナに上京するわけだから、今の若者達と同様、都市に仕事を求めた若者の時代があったという事になる。

そのころバルセロナの街は、拡張地区(エンサンチェス)の工事が盛んに始まっていた時期である。めまぐるしい騒音と雑多な人々の街での往来をみた青年ガウディは、成長しそこで何を感じたのだろうか。
     
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