テナントのバルにもアイデンティティを求める
ここでガウディが1902年に計画したバル・トリノという商業建築を見る事にする。当初イタリアのトリノの街に因んで命名したものかと思っていたところ、古文書によるとどうも違っていたようだ。当時の装飾家リカルド・カップマニによってバル、カフェ、ビアホールの三つの要素を合わせて「トリノ」としたというのである。
施主はフラミニオ・メッサラーナで、ベルモットの販売店として設置したという。場所はパセオ・デ・グラシア通り18番地で、内部は典型的なモデルニズムの建物。中央には半袖と風に流れるようなロングスカートの女性の彫刻。近づいてみると左手にワイン・グラスを支えている姿で、バックのブドウの木の影からさらに小さな妖精の様な子がワインを女性に注いでいる姿が見える。この姿がどうも芸術家達の粋と花を考慮していたというのである。
この入口で見られるカテナリー曲線状のアーチは、装飾要素として利用されていたとされているが、これまでのガウディの建築デザイン経過からするとこのアーチも理想の構造概念の実例としてみることもできる。しかもこのアーチは鉄鋼で曲げられている。カサ・ミラの建物でも造船技術による鉄骨の妙技を見せているが、実はこのバルトリーノでも優雅なアーチを披露していたことになる。
しかもショーウインドーではペドロ・ファルケス・ウルピによって計画され、マヌエル・バジャリン・ランクエント鍛鉄工によって施工された。ワイン・グラスを支えている女性の姿の彫刻は、フェルナンド・マッサーナによって実施されている。ステンド・グラスはアントニオ・バルダルバ、ブロンズと鉄はオクタビオ・ドメネック・ベンデレール、鋳物はガスパル・キンターナとなっている。
モザイクはイタリア製でムシバ・ベネツイアーナ、照明はベネツィアのフラテリ・トッソ製、どうもイタリア製の材料を多く使っていた所をみると、オーナーの郷土へのノスタルジーが演出されていることがわかる。それでも鋳物に関してはバルセロナのマスリエラ&カンピスに製作させていた。大工はA カロンジャ、内部の壁画はE サウメール・ジャバジョール、タピスリーはE サウメール・ジャバジョールによって作られている。驚いた事に建築家ホセ・プーチ・イ・カダファルクがこの作品に参加し、天井の着色をしているという。
家具はウイーンのミカエル・トネット社のもので天井の張り子に関してはマヌエル・ジローナ通りのエルメネヒルド・ミラージェス・アングレスによって製作されたとしている。しかもこのテナント計画は1902年のテナント優秀賞を受賞していた。
残念な事にこの「トリノ」の建物は、後にホセ・ルイス・セルトによって宝石店ロカに改造されてしまった。
テナントの計画でもアイデンティティーの演出の仕方があることを教えられる作品である。
テナントだから商品が単に売れればそれで良いということではなく、そこにはオーナーのアイデンティティーとその演出をすることで素晴らしい作品になるということを示唆していた作品である。しかもお客に商品を売るという行為だけで考えると、露店でも同じではないかと思いがちである。 |