菜食主義から禁欲主義へ
ガウディは食事について
「食事をする前に、寒さを感じるのは過剰でない限り健康に良い。動きで循環を良くするのでそのように対応することが良い。植物を食べ、毒性の物(肉、ソース、揚げ物)は少なめにし、肉食体質の人はそれを少な目にする方が良い。或る程度の脂肪は体には必要である。良いのは生の油である。脂肪の消化を良くする為には乳剤にしたものを摂取する」
としている。
菜食主義として知られているガウディは、ミルクも直接飲まずにヨーグルト、そしてポケットには非常食としてナッツ類を入れていたと言うのだ。
ガウディは、1894年の2月4日からの40日間続く四旬節に、極度の断食を行い死に直面していたという。それを精神的な助言によって死から救ったのがトーレス・バジェス神父である。ガウディによる感謝の念は1916年にサグラダ・ファミリア教会受難の門の左側にトーレス・バジェスの記念碑の計画をしたことで示されている。以来、利他的で博愛的な慈悲と慎ましく節制による生活を営むようになったという。
しかも死ぬ寸前にまで至っているところを考えると、彼の仕事の行き詰まりと社会への抵抗を感じさせられる。
ガウディの精神的軌道修正をしたトーレス・バジェス神父はどのような助言をしたのだろうか。
宗教性というより倫理的な感性を高めたのではないだろうか。例えば徳性、博愛そして慈悲とか人間が本来もっている感性の再認識をされたのではないだろうかと思える。
仕事に復帰したガウディは
「禁欲者の節制で人間の感情や若い時期の特徴である上等な服装などの欲求から解放される事を知り、レウスとリウドムスの財産を慈悲や利他主義者とサグラダ・ファミリア教会工事のために寄付し、事務の女性門番が彼の食事を作る扶養手当に廻すことで報酬も放棄した」
とセサール・マルティネールが説明している。
またガウディは断食について
「断食は皆できる。富みの奉仕はその富みがあるものだけである。仕事は次第に横暴になり(それは続く)、怠惰は、いつも知的行為である。肉体労働よりも疲れるので大変である。 牧人の仕事は、より注意が必要で時間も、休みないくらいである。 しかしその後、仕事が少なく休みの時期が続く。
職人の生活はもっと活発である。少なくとも年中同じ作業である。季節による差はない。 つまり農業よりも厳しい。工業の生活は、労働者を更に奴隷化し注意が常に必要とされ、機械の傍にいる女性は、休む事無く、祭日なく、休憩なく(夜勤当番制)というのが今日の労働者であり、ギリシャ(ローマ人達であった)人以上でしかもエジプト人はギリシャ人以上であった。 いずれにしても仕事は、益々天罰によって、より激しく、奉仕の義務づけは(断食の様に)益々短く、弱くなっている。 瞑想的牧人の生活は、年に3度四旬節をするようになった(宗教的使命の真似をする人々)。しかし仕事の奉仕については、より厳しく毎日の奉仕を義務づけ慎重さを失い、時間の知識、そして奉仕の効力まで失っている。
断食は、健康的で体を調整し、おかしな考えや間違えを正し、消化機能においても、その力を悪用してはならいことがわかる。
それで単に消費に必要なだけの食物でよいということになる。」
とベルゴスとの会話で説明している。 |