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建築家トップ > バルセロナ便り > 第211回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

真実と自由の関係とは

ガウディは、自由について
天国では真実が充たされているので自由はないが、そこは完璧な屈服となっている。自由は一時的通行人のようなものである
とベルゴスに語っている。
つまり真実と自由は反比例の状態にあるのか。
真実が満たされると自由が無くなり、自由が多ければ真実がすくなくなるということか。自由を求める行為は真実から遠ざかるということにもなる。では現世に自由もあり真実もあると思っているのは、どこかで歪んだ共存を可能にしているということか。
自由と真実は対峙するのか。つまり真実に満たされていない社会という、信用しにくい解釈もできるのが現実ということになる。実社会の秩序を維持しているのが政治、科学、情報、教育等は真実が満たされていないという解釈にもなってしまう。とすれば何を信じるというのだろうか。
いままで真実も自由もあるのが現世とおもっていたが、ここに至ってガウディの倫理的言動には少々無理があるのではないのか。それとも昔の会話の断片だけでこれがガウディの言説と言うこと自体が誤解を生じているのかもしれない。
彼も当時の社会に生きていた人である。しかも社会の原点は変わらないはずである。とすればこの弁証法的な解釈にも問題があるはずだ。
宗教的な天国、しかも絶対的な世界、そのように見ると真実も自由もないという逆説的な見方もできてしまう。
彼の倫理的言説には、ストイックな精神生活にまで触れながら、より完璧な見方を覗かせている。しかも屈服すらできない宗教的な天国という言葉で反映されている。宗教から離れて日常生活としての建築界では、ガウディはどのような姿勢でいたのだろうか。

ここで真実を「自然」として置き換えるとどうなるか。
自然に対して人間の行為は微々たるもの。しかも完璧ではないということがよくわかる。その微々たる人間の行為には自由があっても自然という真実においては手の中の垢むしろ皆無に等しいのかもしれない。

そんな自由には社会がある。
自由な存在も皆無に等しい社会で、貪欲にうごめく人々の行動はなんともつまらなく見えてしまう。
この社会でしかも政治的な活動をしていたモデルニスタとして代表される建築家ルイス・ドメネック・モンタネールを考察する。彼は、カタロニア自治論者の動きに重要な役割を果たした。 さらに政治的な活動としては「カタルニア青年」と「カタロニア・センター」のメンバーで、カタルーニャ( 1888 ) 「カタロニア·リーグ」と「ユニオン・Catalanista」(カタロニア連合 1892)の議長を務めた。彼が「カタロニア・ナショナル・センター」( 1889 )と「地方主義者リーグ」(Lliga Regionalista 1901 )のメンバーでもあった。
若い時から政治的な活動に関心があった事が伺われ、1904年には、考古学や建築研究に専念するため政治を放棄したとしている。
彼のカタルニア主義や地域主義へのこだわりは、作品の中にまで反映される。カタルニア建築独特のアーチ、カルパネールをはじめとする伝統的な構造概念で、モデルニズム特有のセラミックと煉瓦の構成で豊富な装飾とリアルな地方性を象徴する。

     
田中裕也氏プロフィール
 
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