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建築家トップ > バルセロナ便り > 第214回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

誠実なもの作りと対立する装飾

ガウディはベルゴスの会話で 
小さい人は大きいものに貢献してきた。
初めに素晴らしい献身性と彼等の特性(実際には神の御加護)に賭けている

と言っている。

まず小さな人とはどんな意味か、体のサイズのことではない。
慎ましい人達のことである。その人達は誠実に仕事に打ち込んで全精力をもって社会に貢献しているということを意味していると考えられる。
ガウディの人生そのものがストイックな生活、そして対人関係においても決して奢りなく誠実に接していた事が伺われる。つまり彼の生き方をそのまま言葉にしているのではないかと私は思っている。

そのガウディは素材の利用の仕方によってはこんな事例もあるということである。

現在ではすっかりクラシックになってしまったモデルニズモの建築家ドメネック・モンタネールの代表作、カタルニア音楽堂では至る所にセラミックとクリスタルによる装飾が施されている。極度な装飾とはこの事を言うのだろうかとさえ考えさせられる。デコレーションケーキも極端に装飾されてしまうと見るだけで食べる気もしなくなる。そんな気分にさせるようなこの音楽堂には、彫刻家ミゲール・ブライによる「民衆の讃歌」が設置されている。そこでは頂点にカタルニアの神話を代表する剣をもったサン・ジョルディ、周囲にカタルニア民族衣装をまとった地場産業に従事する民衆が歌うシーンが演出されていることが一目で分かるようになっている。ドメネックはミゲール・ブライの腕を信じてその彫刻を設置させたのだろう。しかし、この彫刻だけでも立派な作品であって、別にこの音楽堂になくても良さそうな気がする。
というのも彫刻の役目はガウディ的解釈だと雑多となってしまうからである。
しかも建物角地に設置されて道路に突き出している。都市機能からすればありがた迷惑千万なオブジェというしかない。建築的な機能を果たしているわけではないから、経済的な余裕から頭に綺麗なカンザシでも付けているような装飾で、不思議な気がしてならない。
世紀末の建築では、この作品だけではなく世界的に同じような傾向の装飾をしている。それがアールヌーボーであったりする。イタリアでリベルティ、イギリスだとアーツ・アンド・クラフト、ドイツはユング・ステール、ウインではセゼッションと言っていた。
私が学生時代、ギリシャをはじめとしてイタリア、スペイン、フランス、ドイツ、イギリス等を見学した第一印象がそうであったように、今でもその華美な装飾の概念が変わっていない。
ところがガウディの世界だけはどうも違っているのである。
当時の流行スタイルとベクトルが180度違っていた。そのころ(学生時代)、私のガウディに関する知識は、皆無に等しかったのでそうなのかと鵜呑みにしていたことを思いだす。
それが今ではようやく流行とは何かから始まり、ガウディの研究を掘り下げる事でより伝統的な改善を測っていたに過ぎないと思えるようになってきた。
流行はある意味で奇異をてらっている部分もあり、社会の動向にそった商業ベースであることが読み取れる。

しかしガウディの作品作りがその辺りのコンセプトとはまるで違っているのである。
     
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