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建築家トップ > バルセロナ便り > 第215回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

機能を高めアイデンティティを高めると、自ずと芸術性も高まる

ガウディは
今日の画家は感情を表現するよりも流行に傾倒し、外人の真似をしたりして悲しい事に独自性を失っている。これは繊細さに乏しく、我々よりもすぐれているとするフランスの画家達は、本格的に欠けている
として流行を追いかける人達を指摘しているが、それよりも大切な独自性や感性の大切さを示唆しているのも感じ取ることができる。
ガウディによるフランス人画家達の指摘は、むしろ国民的意識がフランスへの問題意識として表現されているのかもしれない。
そんなガウディの先祖も実は南フランスから16世紀にリウドムスにやってくる。その事をガウディは意識していたのだろうか。そこでこの言葉の裏には当時のフランス人達に対するガウディの意識が言葉になっているのだろうと推察する。
そこでフランス革命以後のヨーロッパ全体の動きに注目してみる。そうするとヨーロッパ全体の近代化が激しくなり、少なからずともカタルニア州のように隣合わせの国としては,その社会の地響きが直撃していたのだろうと感じ取れる。鼻息の荒いフランス人達を目の前にして、ガウディのあまりにもストイックで質素な性格ではいたたまれないストレスが溜まったのだろう。彼の仕事場でも傲慢な人や鼻息の荒い人を目の前にすると、ガウディもそれ以上の反応を見せるというのである。自ら「虚栄の抗体」となってしまうのである。この辺りの話しは2012年に亡くなったバセゴダ教授のセミナーの中でよく聞かされたものである。
私の場合は、ガウディのような感情の高ぶり方はしないが、幼いときから同じような感情を持っている事に気がつかされる。

ガウディが指摘する「流行」に従うものを消耗品としてみるとどうだろうか。
機能重視の調度品や道具は流行を意識する飾りや装飾は殆どつけていない。とてもシンプルである。つまりそれをトラディショナルという風に見分けるのがよいのかもしれない。建築ではロマネスクとゴシックを比較するとその差が明確であるほどに、教権主義の腐敗のプロセスを見せつけられることもある。様式とは別に、建築本来は生活機能を重視しているために道具的な見方をすることもできるが、手工芸的な道具と建築の違いは何か。
人々は、建築に道具的な器として「生活を営む」という機能を要求する。生活サイクルに従ってフル回転している器である。つまり装飾の前に生活機能を充実させるプラスαとしてのアイデンティティーの演出も付加させる。すると建築は芸術作品としての質を高める事にもなる。しかも年中利用されることから地域に対してもある種の影響を及ぼすランドマーク的存在であったりもする。

ところが手工芸的な道具は、作業の目的に応じて異なったメカニズムやサイズ、そして形があり、作業が終われば道具箱に納まったりもする。

各地区の伝統的な民家というのは流行に帰属するのではなく、時代の生活に従って改良しつづけながら細々と存続してきた。
だからこれを流行と言う言葉には嵌める事ができないのである。

     
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