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建築家トップ > バルセロナ便り > 第216回

実測で見えたガウディデザイン バルセロナの陽光に魅せられて 最もガウディに近づいた建築家、田中裕也が綴る

流行か本流か

ガウディは実家について
家は家族の小国家である。           
家族とは国家の様に歴史、外交、政治交代等々。
独立家族は、実家を持つが、貸家はそうではない。
実家は祖国である。貸家は移民である。だからこそ実家は皆の理想である。
家族無しでは実家にはならない:単なる貸家にしか過ぎない。
家族の家とは実家のことである。その意味ではだれもが美しい野原や町を思い出すであろう…。
最後に我々が想像する家には二つの目的がある。一つは衛生条件がしっかりしていて丈夫、二つめは芸術的条件によって厳格さを与えるもの:実家では本当の子供が育つと言える

と日誌の中で語っている。
さらにベルゴスの会話の中でも住居の事にふれている。ここではマンション一戸の大きさについて述べているが、例えば寝室の広さは、最低でも4mx4mの広さと言うから8畳から9畳のサイズである。勿論一人当たりのサイズだから5人家族だとすれば寝室だけでも80uの広さになるので45畳ほど、さらにサロンと台所、洗濯場等をくわえると120uから150uの広さが想定できる。これがガウディの考えている普通の居住空間の広さということになる。

ガウディ日記の中で気になる「本当の子供」というのはどういうことだろうか。ガウディの実家はしかも貸家ではない。ある程度の庭と広さがある財産としての家の事である。

とはいえ民家を作りはじめたころの知恵者達は、生活の基盤を支える為の知恵を振り絞って気候風土に耐えられるように工夫し、それぞれの地域にあった建築を産み出してきた。それを時代の流行としてみるか、それともトラディショナルな知恵による手工芸的な知恵からの副産物としてみるかは別問題とする。

ここで「流行」の定義付けをする。
最近インターネットで利用されているウイキペディアによれば、「ある社会のある時点で、特定の思考、表現形式、製品などがその社会に浸透・普及していく過程にある状態を表す」としている。

すでに述べた19世紀末運動の代表であるアールヌーボーなどは経済と芸術の合流の成果ともいえる。あまりにもけばけばしいルネサンス的な存在でありこれをネオ・ルネッサンスと呼ぶに相応しいのかもしれない。しかも一部の階級だけに及ぼした動向に過ぎないのでないだろうか。その意味では資本家のステータスの見本市のように社会に豪奢な見せつけをしている気がしてならない。一方で、ガウディはマタロの労働組合の計画と、サグラダ・ファミリア教会での贖罪教会建設計画で慎ましく教会を計画していた頃である。この中で流行を演出しているとすればどこだろうか。とくにコロニア・グエル教会などは世紀末運動という時代の中でその本流の代表的な作品といえるのだろう。とすれば廃材の利用と素材の選択から、とてもその時代のものとは思えない。むしろ時代を超越した建築本来のあり方を示唆する作品になっているとしか思えないのである。しかも時代の流れに沿った建築は,様式に拘って次々と着せ替え人形のように変身する。
     
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