丸から産まれるデザインに手こずる
このカサ・ミラの中に入ると、円形状とトラック状のパティオによって区分されている。その間にもう一つヘチマ状の平面をもつ設備用のパティオもある。
これらのパティオは、自然換気と自然光が内部に入るように計画されていることはよくわかる。
ところが円形とトラック状パティオの壁面を見ると、多彩な壁画が描かれている。ガウディ当時の画家イブ・パスコアによる壁画とされている。
この人物がこの工事に介入した事でガウディがこの工事現場から手を引く要因になったともされているが、さらに調査の必要がある。
私がこの建物を実測していると、どうも動物の体内にいるような気がしてならなかった。まずは全てが曲面体である。中は洞窟的で壁画が描かれ、まるで洞窟時代のニューバージョン、屋根裏階に入るとカテナリー曲線隔壁アーチの連続だが、これも動物の体内のような気もしている。今でこそ「エスパイ・ガウディ」と称して常設展示をしているが、この中にピトーンの体の骨を陳列している。同類的に見ての展示ということなのだろう。
そして屋上に出られる階段室も煉瓦造によるカテナリー回転体の躯体に破砕タイル仕上げとなっている。それらのどれもが同じ躯体になっているが、仕上げはそれぞれことなっている。
円、六角形、八角形の平面による階段室でそれぞれペアーになっている。
不思議なのは道路側の階段室の仕上げは破砕タイルで、パティオ側の階段室はモルタル仕上げになっている。このような細工をするにはどんな意味があるのだろうか。予算なのか、それとも美観なのか。
屋根裏階の窓は不思議に上下互い違いに配列されている。
どんな意味があるのだろうか。
しかもファサードの窓一つにしてもどれとして同じ寸法の物がない。全てサイズがことなるのである。まるで大工やサッシ屋泣かせの開口部ということになる。
曲面体といえば、動物達は全て人体も含めて「曲面体」である。
卵の形も「丸(まる)」であるようにそこから生まれる生物は全てが丸みをおびている。
このような有機体的な作品を実測するのはてこずるのは当然だが正確には測りようがない。むしろ正確を求める方がこの作品においては意味がないということになる。
ではどうしてそこまでガウディは固執したのだろうか。
職人、技術者達がこの作品を作るに当って、その施工に悲鳴を上げていた様子を想像するだけも滑稽になる。工事を請負っていたホセ・バイヨはガウディに感謝し尊敬していたほどである。
工事泣かせの計画をした人なら逆に協力者達から恨まれるような気もするのだが、ガウディの場合はそうではなかったという事になる。
つまりそれはガウディの人間性かそれとも管理の良さが職人達の満足度を高揚させたのではという事が推察できる。
その工事のなかで、ガウディの協力者達はどのような対応をしていたのだろうか。
ある日、オーナーとガウディが工事現場を尋ね、彫刻家カルロス・マニの作業工房を訪れた。彼は夢中になって聖母の模型に水をかけていたところその水がオーナーにもかかってしまったと言うのだ。これはマニが一生懸命に作っていた彫刻の作業風景を描写している話しである。 |